聖書 ヨハネ 13:31~35   宣教題 新しい掟   説教者 中田義直

『新生讃美歌』やバプテスト連盟の『教会員手帳』に掲載されている「教会の約束」に「わたしたちは、バプテスマと主の晩餐の二つの礼典、また、聖書の教えと、教会の定めた秩序を守ります」と記されています。ここだけ抜き出すと、特に「教会の定めた秩序」という言葉はとても硬く、何か上から押し付けられるような印象や不自由な印象を持つ方がいるかもしれません。テレビドラマなどで、組織の秩序を守るために個人がないがしろにされたり、理不尽なことが起きるというストーリーなどがあります。しかし、ここでいう「教会の定めた秩序」というのはそのようなことではありません。

私たちの教会にも「教会の規則」がありますが、それは、総会で皆で決めたものです。皆で決めて、互いに守ろうと約束したこと、それが私たちの教会の「規則」です。同じように「教会の定めた秩序」というのは、互いに守ろうと約束したことなのです。そして、私たちの教会にはイエス様から大切な「掟」が与えられています。それは「互いに愛し合いなさい」という「掟」です。そしてそれは、互いに、互いを大切な存在としなさいということです。イエス様は十字架の時が迫る中、弟子たちに告別の説教を語られました。聖書に「13:31 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。13:32 神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる」と記されています。ユダが裏切りの決意をして、イエス様のもとを離れていきました。そして、人の子の受ける栄光とは、十字架と復活を示しています。弟子たちはいつもと何か違う気配を感じながらも、それが、仲間の裏切り、そして、イエス様の十字架の死という悲しく、絶望的な出来事の前触れとは未だ理解していませんでした。

このような状況の中でイエス様は告別の説教を語り始められました。そして、まずイエス様は弟子たちに「新しい掟」を示されたのです。こう記されています。「13:34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。13:35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」。

イエス様の弟子たち、今、ユダが去った11人という弟子たちの数は決して多い人数ではありません。しかし、彼らの中には仕事も、政治的な意見も、性格も、そして信仰的にも様々な「違い」がありました。彼らを一つにまとめていたのは、イエス様でした。扇の要であるイエス様がいなくなったら、バラバラになってしまってもおかしくない「違い」が彼らにはありました。そのことをイエス様は良く知っておられました。そして、ここでのイエス様の言葉が示しているように、イエス様は裏切り、離れていったユダを含め、弟子たちに深い愛を注いでおられました。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と言われたように、本当に、イエス様は弟子の一人一人をかけがえのない存在として大切に思っておられたのです。そして、イエス様と弟子との間に結ばれていた関係を今度は、弟子と弟子の間で結び合わせていきなさいとイエス様は語りかけておられます。

「教会の約束」に記されているバプテスマと主の晩餐式は、イエス様を信じる信仰を確認する礼典であると同時に、教会の交わりを確認する礼典です。バプテスマには信仰をあらわす意味と教会に入会するという二つの意味が込められています。そして、主の晩餐はイエス様によって与えられた救いを確認するとともに、キリストにあって一つとされていることを確認する礼典です。聖書の教えは、神への愛と隣人への愛、そして、互いに愛し合うということへと私たちを導く教えです。また、教会は神を愛し、隣人を愛し、互いに互いを愛し合うためにその秩序を定めます。互いに互いを大切にするために、私たちは聖書の御言葉に聞き、祈りつつ互いに決めごとをします。

イエス様は「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」とおっしゃいました。互いに互いを、かけがえのない大切な存在として認め合っていく交わり。そのような交わりが、キリストの香りとキリストの光を輝かせてゆくのです。しかし、それは私たちが無理して、我慢してできるものではありません。そんなに私たちは強い心を持っていません。だから、私たちは自分に注がれているキリストの愛を祈りつつ受け止めます。そして、御言葉の支えと、聖霊の助けとをいただきながら、私たちは互いに愛し合うことの慶びへと導かれてゆくのです。

 

ー祈り-

主なる神様、あなたに呼び集められ、共に礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。

主よ、あなたは私たち一人一人をかけがえのない存在として、愛し、導いてくださいます。主なる神様は、ご自身の独り子をも惜しまぬ愛をもって私たちを愛してくださいました。そして、イエス様は私たちを弟子として導いてくださいます。主よ、私たちが互いに互いをイエス様に愛されている存在であることを受け止めることができますように。そして、あなたに愛されているものとして互いに愛し合い、十字架の愛を証しする教会として歩む続けることができますよう、聖霊の導きをお与えください。

この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

ー聖書ー  ヨハネによる福音書13章31節~35節

13:31 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。13:32 神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。13:33 子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。13:34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。13:35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」