聖書 Ⅰテサロニケ5:16~28    宣教題 約束を信じて  説教者 中田義直

 10月になりました。今月は22日に特別伝道集会を行います。日本では、キリスト教徒は人口の1パーセントに満たないと長く言われています。さらに毎週礼拝を守っているのはそのうちの2割ほどともいわれています。つまり、毎週日曜日にこのように礼拝に集っているのは、日本の中の0.2パーセントの人々なのです。一方、日本ではミッションスクールが社会的にも認知されています。ミッションスクールの中でもクリスチャンの教師が少ないという現実もありますが、学校での礼拝や教会の礼拝への参加を通して聖書やキリスト教にふれている人はかなりの数に上ります。キリスト教の幼稚園、キリスト教式の結婚式を経験した人などを含めると多くの人がキリスト教と接し、良い印象を持つ人が少なくないと言われています。

 世界的にみると既存の宗教は力をなくしていると言われていますが、それでも、キリスト教、仏教、イスラム教は依然として三大宗教であり、音楽や絵画、彫刻、文学といった文化にキリスト教は大きな影響を与えています。日本では少数ですが、世界的に見ればメジャーです。歴史的にもキリスト教はいくつもの国家を動かしてきた影響力を持っています。ですから私たち日本のクリスチャンは少数派、マイノリティという意識と共に、もしかしたらそれ以上に多数派、マジョリティという意識を持っているようにも思えるのです。ところが、新約聖書の時代のキリスト教徒は徹底した少数派です。ギリシャ・ローマ社会に於ては危険な邪教というレッテルを張られていました。クリスチャンにとってイエス・キリストは神の子であり、救い主です。しかし、一般的に見ればローマに抵抗した危険分子です。政治犯として十字架で処刑された、政治的な活動家、それが当時のギリシャ・ローマ社会の中でのイエスに対する理解だったのです。そのような、私たちには想像することも難しいような状況の中に当時のクリスチャンたち、そして、教会は置かれていたのです。

 さて、今日の聖書箇所に記されている「5:16 いつも喜んでいなさい。5:17 絶えず祈りなさい。5:18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」という言葉は私たちクリスチャンにはよく知られている言葉です。ここに記されているように、これはイエス様が私たちに望んでおられることなのです。そして、私たちはこの言葉のように生きることが、クリスチャンの理想の姿と考えることがあるでしょう。また、とても喜ぶことのできないような状況や感謝などできないような状況に直面し、心が乱れて祈ることさえ忘れてしまっているような時に、この言葉に背中を押されるようにして「祈り」に導かれる経験をされる方もいるでしょう。そして、不思議なことにこの言葉に対して「無理です、喜ぶことなんかできません、感謝することなんかできません」と思うような時でも、この言葉を通して、心に差し込んできた一筋の光を見出す、そんな経験をされる方もいるのです。

 この有名な言葉が記されているのは、パウロが記した「テサロニケの信徒への手紙」です。学者によれば、パウロはコリントでこの手紙を書いたと考えられています。テサロニケはギリシャの町で、パウロによって福音が届けられたました。使徒言行録の記述によれば、パウロはテサロニケに住んでいたユダヤ人たちの会堂で福音を語りました。このパウロの伝道活動によって、ユダヤ人からも、異邦人からも多くの人がキリストを信じたのです。ところが、それを快く思わないユダヤ人たちの策略でパウロを攻撃する暴動がおこり、パウロは逃げるようにしてテサロニケの町を去ったのです。パウロにとって、テサロニケは大変苦労した街だったのです。ですから、この町に建てられた教会も多くの困難に直面したことでしょう。それこそ、喜ぶことのできないような、とても感謝などできないようなことがたくさんあったでしょう。パウロはこのテサロニケの町の教会を導き、励ますためにこの手紙を書いたのです。

 この手紙でパウロは、喜べ、祈れ、感謝せよと「命令形」で記しています。しかしパウロは無理してでも、喜べ、祈れ、感謝せよと言っているのではありません。パウロは「5:23 どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。5:24 あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます」と記しています。パウロは、神様が、平和の神ご自身が私たちを全く聖なる者としてくださると記します。つまり、神様ご自身が私たちを、喜び、祈り、感謝する者へと変えてくださるというのです。

 神様の導きと、支えの中で、私たちは喜ぶことができるようになり、祈ることができるようになり、感謝することができる者とされていく、それが、神様の約束です。「あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます」という言葉は、パウロ自身の経験に基づく言葉ではないでしょうか。テサロニケの町で、迫害され、町から逃げ出さなければならなかったパウロでしたが、聖霊の導きの中で喜びを見出し、祈りへと導かれ、感謝が心に与えられたのでしょう。そのような経験に基づく言葉だからこそ、この言葉が、喜べないような、感謝できないような、そして、祈ることさえ忘れてしまうような状況に置かれている者たちの心を励まし、支えるメッセージとして心に響いてくるのではないでしょうか。

 神様は、私たちを「いつも喜び、絶えず祈り。どんなことにも感謝する」者へと変えてくださいます。暗闇の中に光を当ててくださいます。そして、それがこの世に生きる私たちに与えられている神さまの約束なのですから。

ー祈り-

 主なる神様、この主の日、あなたに呼び集められ、礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。
 主よ、あなたは私たちをあなたの御心にかなう聖なる者としてくださいます。喜び、祈り、感謝するものへと導いてくださいます。主よ、聖書に記されたあなたの言葉を信じ、日々歩む私たちでありますように。そして、祈ることができないで苦しんでいる者、喜ぶことを忘れている者、感謝できずに苦しんでいる者たちを憐れみをもって導いてください。そして、イエス・キリストの十字架に示された、何にも替えることのできないあなたの愛が注がれていることに気づくことができますよう、聖霊の導きをお与えください。
  この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

 

ー聖書-   テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16節~28節

 5:16 いつも喜んでいなさい。5:17 絶えず祈りなさい。5:18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。5:19 “霊”の火を消してはいけません。5:20 預言を軽んじてはいけません。5:21 すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。5:22 あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。5:23 どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。5:24 あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。5:25 兄弟たち、わたしたちのためにも祈ってください。5:26 すべての兄弟たちに、聖なる口づけによって挨拶をしなさい。5:27 この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるように、わたしは主によって強く命じます。5:28 わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。