人間の姿となった神に倣う              牧師 中田義直

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」
フィリピの信徒への手紙2章6節~8節

この言葉は、当時の教会で歌われていた「キリスト賛歌」という讃美歌の一部と考えられています。パウロはフィリピ教会に宛てた手紙の中で、この引用の前の部分に「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです」(2章4節~5節)と記しています。つまり、ここでパウロは、教会の人たちにキリストの姿を示しながら「自分のことばかり考えないように」と語りかけているのです。
今、世界中で「自分のこと」そして「自分の国のこと」ばかりを考え、大切にするという思想が急速に広がっています。そして、世の指導者たちは「キリスト賛歌」に示されているキリストの姿とまったく反対の方向に人々を導いているように思えるのです。
待降節を歩む私たちは、あらためてキリストの姿を見つめたいと思います。そして、キリストに倣って生きることを共に祈り求めたいのです。