神を拝しつつ歩む                  牧師 中田義直

今月の教会学校では、旧約聖書の士師記を学びます。イスラエル民族は12の部族からなり通常はそれぞれの部族ごとで生活を営んでいました。しかし、敵対する国や部族との戦いとなったときなどは12部族が一致協力して戦いに臨んだのです。このような時、12部族をまとめるリーダーの働きを担ったのが「士師」でした。
王は多くの場合、世襲によって地位につきます。そして、王制を取った国では常に王がいます。一方、士師は、役割が終わるとその立場を退きます。そして、士師は神様の選びによって立てられるのです。
イスラエルでは士師の時代の後、人々の求めによって王制が誕生しました。神様は預言者サムエルを通して「王制には反対である」と語りかけました。しかし、人々があまり強く求めるので、神様は王制をお認めになりました。神様が王制に反対された理由は、人々が神のみに頼ることを忘れ王や人の作った制度に頼るようになることを危惧されたからです。
私たち人間は、よりよい社会を作ろうと願い、知恵を用いてきました。制度を作り、いろいろな方法を試みてきました。しかし、人間のすることに完璧はありません。ですから私たちにとって大切なことは、不完全であることを受け入れることなのです。心を低くして神を拝しながら歩む。その謙虚な歩みを通して、私たちはより良い社会を築く者となるのです。