聖書 マタイ 5:9   宣教題 平和を実現するもの  説教者 中田義直

私は戦後生まれで、日本が経時的に大きな成長をする中で育ち、その恩恵を多く受け入ているものです。戦争を体験した方たち、日本で体験した方や戦場での経験のある宣教師の方たちからその体験を伺う機会がありましたが、多くの方たちは勝利した側も負けた側もその体験を通して心に癒されない痛みを負っておられるということでした。戦争の時、日本軍と戦った経験のある宣教師の方は、戦場で銃を撃つことに戸惑いと深い痛みを覚えておられました。人を殺すかもしれないという恐れの中で、心の中で「神様ごめんなさい」と何度も何度も叫びながら引き金を引いたと、語っておられました。その話をするたびに、その先生の目からはいつも涙がこぼれていました。そのような経験を通して、戦後、宣教師として日本で働きたいという強い思いが与えられたと伺いました。神様の赦しの確信を持ちながらも、癒えない痛みを背負って生きておられる姿を通して、その先生は戦争の悲惨さ、平和の大切さを語りかけてくださいました。

イエス様は「 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる」とおっしゃいました。私の出会った宣教師の先生は、イエス・キリストの愛によって救われたクリスチャン、神の子として心から平和を実現することを願っておられていたと思います。そして、実際に戦場で銃を手にされて、苦しみながら引き金を引きました。国を守るため、家族を守るため、何より平和を願っておられたことでしょう。そして、かつて戦った日本に福音を伝えるために宣教師として神様に生涯をささげられました。イエス様は「敵を愛しなさい」とおっしゃいました。これは本当に驚くべき教えといえるでしょう。神様がモーセを通してイスラエルの民に与えられた「十戒」には、「人を殺してはならない」という戒めの言葉があります。しかし、これは同じ民族の中で、つまり仲間との間で守るべき戒めと考えられていました。ユダヤに大きな繁栄をもたらしたダビデ王は、王になる前、サウル王よりも多くの敵を殺したと言って人々に称賛されました。そして、そのダビデは不貞という過ちを隠すため、同胞であり、忠実な部下、味方であるウリヤを死に追いやったことを神様に糾弾され、激しく公開して神様に許しを請いました。戦争で多くの敵を撃ち殺したダビデは称賛されましたが、仲間を死に追いやったことはダビデの大きな罪として聖書に記録されています。ところが、イエス様は「敵を愛せよ」とおっしゃられました。それは、「殺してはならない」という戒めを仲間だけでなく、敵に対しても適用するということではないでしょうか。そして、それは本当に困難なことでしょう。私のであった一人の宣教師の先生は、その困難さの中で心に痛みを負いながら、かつて敵として戦った日本人にイエス様の愛を伝えるという人生に導かれたのです。

「平和を実現すること」それは、神の子と呼ばれるための条件でしょうか。私たちが神の子とされるのは、何か努力して条件を満たしたことの結果ではありません。私たちは、ただイエス・キリストの十字架の死と復活を通して神の子とされるのです。そして、いま私たちは神の子として平和を実現するために何ができるかを問われているのではないでしょうか。

私が学生の時に出会い、いろいろと教えていただいた他派の牧師先生がおられます。その先生は私がクリスチャンであり、バプテスト連盟の教会のメンバーだと知った時に「あなたがバプテスト連盟のメンバーならマルティン・ルーサー・キング牧師のことを知っているか」と問われました。私が黒人解放運動の指導者で暗殺されたという程度の知識しかないことを知ったその先生は、「ぜひ読みなさい」と言ってキング牧師の説教集を紹介してくださいました。その説教集は「汝の敵を愛せよ」という本でした。そして、先生は学生運動が盛んだったころ、自分の教会の青年たちと向かい合い議論した経験を話してくださいました。戦争に反対している青年たちが、平和運動といって暴力的な過激な行動に走ることを何とか止めたかったが、その時の自分にはその力量がなく、暴力を止められなかったこと、そして、多くの青年たちが教会から離れていったことの痛みを話してくださいました。そして、非暴力を貫いたキング牧師の説教集を青年であった私に紹介してくださったのです。

長老ヨハネは「4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。4:19 わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。4:20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません」と記しています。ここでは、イエス様のおっしゃった「敵への愛」ではなく兄弟への愛、同じ教会に集う仲間に対するあいを語っているといわれています。だとすれば、兄弟さえ愛することのできない現実があることを知らされます。そして、ヨハネは愛を阻むものとして「恐れ」を示しています。非暴力の戦いは、敵との闘い以上に自分自身の心にある「恐れ」との戦いだと言われます。

イエス様の十字架の死と復活は、命を奪い殺す力に対する、命を与え生かす力の勝利であったと言われます。また、恐れよって人々を支配する力に対する、神の愛の勝利、愛による支配の勝利なのです。そして、私たちは、イエス様の十字架の死と復活を通して神の子とされました。滅びる命から、滅びない命に生きるものへと変えられました。それが私たちに与えられた神様からの良い知らせ、「福音」です。

今、この福音を託されている私たちは、「神の子」として、福音の広まることを祈り求めつつ、福音を携えて隣人のもとへ、そして、神の導きと聖霊の助けの中ですべての人のもとへ福音を携えていきたいと祈り、願うのです。そして、キリストにある平和の実現を信じて生きてまいりましょう。

ー祈り-

主なる神様、あなたに呼び集められ、共に礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。

主よ、あなたは御子イエス様の十字架と復活を通して、私たちを「神の子」としてくださいました。私たちは神の子にふさわしいものではなく、あなたに神の子と認めていただけるような人生をお送っている者でもありません。しかし、あなたの一方的な愛により「神の子」として、あなたは私たちを受け入れてくださいました。主よ、私たちがこの世にあって、神の子として生きることができますよう助け導いてください。そして、キリストにある平和を実現するものとして、なすべき努めを担うことができますように。

世の指導者たちは、恐れによって人々を動かし、恐れによって人々を支配しようとしています。主よ、今、私たちがあなたの愛による支配を、恐れを超える愛のあることを証しすることができますよう、聖霊を私たちに注いでください。

この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

 

ー聖書ー  マタイによる福音書 5章9節

5:9 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。