共に祈る「祈り」                  牧師 中田義直

主の日の礼拝、そのほか教会の諸集会につとめて出席し、教会の交わりのきよくなること、栄えることを祈ります。(「教会の約束」より)

ユダヤの格言に「ユダヤ人が安息日を守ったのではなく、安息日がユダヤ人を守ったのだ」という言葉があります。国を失い流浪の民として過ごさなければならなかった時代を過ごしたユダヤ民族の歴史を振り返る時、この言葉はひときわ重く感じられます。この格言は、異郷の地に寄留しながらも、安息日を大切に守り続けることによって、ユダヤの民はその自覚を持ち続けることができたということを示しているからです。
私たちも、信仰深いから教会に集うのではなく、信仰の弱さを自覚するからこそ、共に集い、祈りあい、支えあうのではないでしょうか
キリスト教の信仰は「神様」と「私」という個の関係を大切にしています。しかし、その一方でペンテコステの日に聖霊が共に祈る「交わり」に降り、教会がその歩みを始めたように、共同体を大切にしているのです。
「教会の約束」は、主の日の礼拝や教会の諸集会に集うことの大切さを示しています。そして、この約束の主眼は「祈り」に置かれています。共に祈ることによって、私たちは神様との縦の交わりと、隣人との横の交わりを結びます。そして、何よりも、自分自身の弱さを自覚するからこそ、私たちは教会における、共に祈る「祈り」を大切にするのです。