前 奏
招 詞   コリントの信徒への手紙二5章17節
讃 美   新生 21 栄光と賛美を
開会の祈り
讃 美   新生103 望みも消えゆくままに
主の祈り
讃 美   新生134 生命のみことばたえにくすし
聖 書   創世記25章7~11節
                    (新共同訳聖書 旧約P38)
宣 教   「世代交代」    宣教者:富田愛世牧師
【アブラハムの生涯】
 今日は「世代交代」というタイトルを付けました。族長物語の始まりとしてアブラハムの生涯を見てきたわけですが、いよいよ今日の箇所でアブラハムの物語は終わりになります。
 アブラハムは75歳の時、神の声に従いハランからカナンへと旅立ちました。創世記12章7節を見ると「主はアブラハムに現れて、言われた『あなたの子孫にこの土地を与える』」と記録されています。ここで、カナンの地が与えられるという約束を受けました。
 そして86歳の時、妻であるサラの女奴隷ハガルによってイシュマエルという息子を授かるわけです。ただ、この出来事は神の計画というよりは、神の計画に従いきれなかった結果と言ってもよいのかもしれません。
 そして、創世記17章を見ると、もう一度神はアブラハムに祝福を約束します。この時アブラハムは99歳でした。妻のサラは10歳年下ですから89歳でした。この現実からアブラハムは子どもが与えられるはずがないと笑うのです。
 17章17節を見ると「アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。『百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。』」と記録されています。この時、イシュマエルは13歳でした。ですからアブラハムはイシュマエルが跡継ぎとなり、長生きするようにと神に訴えるのです。
 しかし、神は「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。」と語られるのです。そして、その言葉の通り百歳のアブラハムにイサクという息子が与えられるのです。
 その後22章にあるように、一人息子のイサクを献げなさいという試練を受け、アブラハムの神に対する信仰はゆるぎないものとなり、175歳で生涯を閉じるまで神に従いとおしたのです。
【イサクとイシュマエル】
 アブラハムの物語を読む時、イサクとイシュマエルは互いに仲が悪いように思われているのではないでしょうか。それは創世記21章9節にこのように書かれているからではないかと思うのです。「サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、アブラハムに訴えた」
 確かにこの箇所を読むと13歳年上のイシュマエルがイサクをからかっていて、それを見たイサクの母サラは腹を立て、アブラハムに訴えているわけです。この訴えの内容はどのようなものかというと「ハガルとイシュマエルを一族から追い出してくれ」という事なのです。
 ここで少し、サラについて見てみたいと思います。アブラハムという信仰の父の妻だという事で、優しい、善い人なのではないかと思うかも知れません。しかし、聖書の記録を見ると、非常に感情的で強い人だという事が分かります。ハガルが身ごもって、自分を見下しそうになった時も、反対にハガルに意地悪をして、その結果、ハガルは逃亡しているのです。荒野に逃げ、その先で神の使いが現れハガルを説得し、アブラハムのもとに連れ戻されてイシュマエルを出産しているのです。
 この後、イサクが生まれますが、その時もイサクに家督を継がせるため、ハガルとイシュマエルを追放しろと訴えているのです。この訴えに悩んだアブラハムは神に祈り、その結果として追放してしまうのです。ただし、神はハガルとイシュマエルに対しても祝福を約束し、イシュマエルは荒れ野に住んで弓を射る者となったと記録されています。
 つまり、イサクとイシュマエルの関係は、それほど悪くはなかったのではないかと思うのです。ただ、お互いの母親同士の関係が悪かったという事なのです。母親同士といいましたが、聖書を読む限り、一方的にサラがハガルにつらく当たっていたという感じではないかと思わされます。
 イサクはアブラハムのもとで育ち、イシュマエルは荒野に住む民となり、弓を射る者、つまりは狩猟民族として育っていくのです。創世記21章18節には「わたしは、必ずあの子を大きな国民とする」という約束が神からハガルに与えられています。
 イサクとイシュマエルは別々の土地で暮らし成長しましたが、互いの関係は悪いものではなく、もしかすると時々あったりしていたのではないでしょうか。そして、お互いに協力し、お互いに尊敬し、善い関係を築いていたのではないかと想像するのです。
 その理由として、今日の聖書箇所にあるように、アブラハムが死んだ時、イサクとイシュマエルの二人が「マクペラの洞穴」にアブラハムを葬っているのです。
【アブラハムの子孫】
 さて、この後、アブラハムの子孫はどのように増えていくのでしょうか。歴史を見れば分かることなのですが、私たちはイサクという直系の子孫にだけ注目してしまいがちですが、実際にはイサクによる直系の子孫だけではないのです。
 アブラハムは86歳の時、エジプト人のハガルとの間にイシュマエルという子どもが与えられました。その後、100歳の時には正妻であるサラとの間にイサクが与えられました。その後、サラの死後、ケトラと再婚し6人の子が与えられました。
 神はアブラハムに子孫を増やすと約束されましたが、それはイサクによる子孫だけに限ったことではなく、イシュマエルやケトラによる6人の子どもたちによる子孫をも含めているのではないでしょうか?
 今日は読んでいませんが、25章2節には、ケトラによってジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアが与えられたと記録されています。続けて読んでいくと「ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。デダンの子孫は、アシュル人、レトシム人、レウミム人であった。ミディアンの子孫は、エファ、エフェル、ハノク、アビダ、エルダアであった。これらは皆、ケトラの子孫であった。」と記録されています。ここに登場する名前のいくつかは、ヘブライ語聖書のいろいろな個所に登場する名前です。
 アシュル人、レトシム人、レウミム人という名前はあまり聞き覚えのないものかもしれませんが、ミディアンについては、モーセの妻ツィポラはミディアンの祭司であるエテロの娘だと紹介されていますし、モーセが一時期、逃げていた場所がミディアン人の地であったと記録されています。
 さらにイシュマエルについていえば、アラブ人の祖先だと言われています。現代においてはイスラエル、ユダヤ人とアラブ人は敵対関係にあるように思われていますが、もとをただせば同じルーツを持った民族で、アラビア半島からイラクにかけての広い地域で共存していました。
 現実的に自分を「ユダヤ人です」とか「アラブ人です」と称する人は世界に4億人以上いるようですし、クリスチャンも民族的には違いますが、神の子としてアブラハムの子孫だと考えれば、その数は世界に23億人いると言われています。そして、ムスリム、イスラム教の人も同じようにアブラハムの子孫だと考えているので、その人口は20憶人と言われています。
【試練を通して】
 血統的にアブラハムの子孫だという人だけでなく、信仰的にアブラハムの子孫ですという人も含めると世界人口に占める割合は非常に高いものです。さらに、実数としての人口で考えてもユダヤ教、イスラム教、キリスト教を合わせると40億人以上います。その中でもイスラム教が多数を占めている地域の人口増加率は他の地域に比べて二倍以上だという事ですから、今後、すごい数字になっていくと思います。
 そして、このように子孫が増えるという事が神からの祝福だと考えていたわけですから、アブラハムに対する祝福は非常に大きなものだと考えられます。しかし、前半でお話したように、アブラハムの生涯を振り返ってみていくならば、それは決して順風満帆なものではありませんでした。
 アブラハム自身、たくさんの試練や失敗を経験していました。カナンの地に入って、すぐに飢饉に見舞われエジプトへと非難しました。その時、妻であるサラが美しいので、エジプト人に奪われてしまうかもしれないと思い、妻ではなく妹だと偽りました。
 その後、カナンに戻ってからは、その地域にいた王たちの争い、つまり、部族間の争いに巻き込まれたこともありました。結果から言えば、その争いに巻き込まれたことによって、武力的な強さが認められました。
 また、やっと与えられた一人息子であるイサクを献げなさいという試練にも合うわけです。人の価値観に照らすならば、嬉しい出来事ばかりでなく、辛い選択を迫られ、神を信じられなくなったこともあったのではないかと想像します。そして、それらの試練や失敗を乗り越えた時、そこには大きな祝福が待っていました。
 この後、アブラハムからイサクへと世代は移りますが、イサクもまた、試練を通して、失敗を繰り返しながら成長していくのではないでしょうか。そして、神が祝福されたという宣言を受け止めることが信仰の歩みなのではないでしょうか。

祈 り
讃 美   新生519 信仰こそ旅路を
主の晩餐  
献 金
頌 栄   新生673 救い主み子と
祝 祷  
後 奏