前 奏
招 詞   イザヤ書43章19節
賛美歌   新生 26 ほめたたえよ造り主を
開会の祈り
賛美歌   新生650 喜びて主に仕えよ
主の祈り
賛美歌   新生105 くしき主の光
聖 書   コリントの信徒への手紙二5章17節
                       (新共同訳聖書 新約P331)
宣 教   「温故知新」    宣教者:富田愛世牧師
【伝統文化】
 今日の聖書箇所は「聖書教育」ではコリントの信徒への手紙二5章16節~21節になっていますが、前後を含めて読んでいく中で17節を中心にして「温故知新」というテーマで語るように導かれました。
 「温故知新」ということわざは中国の論語が由来となっているそうですが、ある新聞社がとったアンケートでは、好きなことわざランキングで2位になっているくらい、有名なことわざだと思います。論語の「為政編」にある言葉で、意味としては「故きを温ねて新しきを知らば、以って師となるべし」つまり「古くから伝わる教えを大切にして、新しい知識を得ることが大切である、そうすれば誰かに教える師となることができる」と孔子が弟子に語ったそうです。
 ここで言われる「古くから伝わる教え」の「古く」とはどのくらい昔の事なのでしょうか。日本では「十年一昔」などと言われてきましたが、最近は物事が変化するスピードが速すぎて十年などと言っていられないかもしれません。ただ、一般的には一世代前、つまり20年から30年位が「昔」と言われるようです。
 しかし、温故知新ということわざで語られる「昔」とは、もっと古い時代を語っていると思うのです。言葉を変えると「伝統」と言われているようなものを見ていると思います。伝統文化に触れることによって、新しい何かを発見することができるという事ではないかと思うのです。
 この伝統という事の意味を調べると「ある集団において、歴史的に形成、蓄積され、世代を超えて受け継がれた精神的、文化的遺産や習慣」と大辞林に載っていました。小学館の国語辞典には「古くからのしきたり、様式、傾向、思想、血筋などの有形、無形の系統を受け、伝えること」とありました。
 落語や歌舞伎などを見ると、伝統を大切にしていると思います。しかし、それだけでなく、その伝統を大切にしたうえで、新作落語が作られたり、スーパー歌舞伎と言われる現代風な歌舞伎が作られたりして、ただ受け継ぐだけではない「進化」が見られて素晴らしいことだと思わされます。
 伝統文化を大切にしたうえで、さらに何か新しいものを発見していくということが、とても大切なことではないかと思わされます。
【ユダヤの歴史】
 さて今日の聖書には「だから、キリストに結ばれる人はだれでも、あたらしく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」とあります。パウロにとって「古いもの」とは律法を指していると思います。そして、この律法とは何かを探っていくと、ユダヤの歴史に結び付くのです。
 昨年の秋から半年かけて、イスラエルの族長物語を読んできました。ユダヤの歴史はその族長物語、そのものと言っても構わないと思います。ヘブライ語聖書には神が天地万物を創造したという創造物語から記録があるので、そこからユダヤの歴史だと考えることもできますが、具体的なユダヤの歴史を見ていくならば、族長物語からということになるのです。
 紀元前17世紀頃、アブラハムから続いて、イサク、ヤコブがカナンの地にたどり着き、そこに定住するようになるのです。そこで様々な出来事が起こり、ヤコブの息子であるヨセフの時代に飢饉から逃れるためエジプトへ移り住むようになりました。
 その後、紀元前13世紀にはモーセによる出エジプトの出来事が起き、もう一度、カナンの地での定住生活が始まるのです。そして、紀元前1世紀前後にサウルという王が与えられ、ダビデ王の時代にエルサレムが都として確立され、ソロモン王の時代に神殿が奉献されました。
 ユダヤの歴史としては、このような流れになりますが、ユダヤ教としてはどうなのかというと、初めから唯一の神、ヤーウェを信仰しているのだからユダヤ教だと解釈する方もいますが、宗教としての体系が作られたのは、モーセに十戒が与えられたころからではないかと思います。そして、その後、紀元前538年にバビロン捕囚から解放されますが、その前後にユダヤ教としての体系が整えられたと考えられています。ヘブライ語の聖書が口伝伝承だけではなく、書き記されたものとして残されるのも、バビロン捕囚の前後ではないかと考えられています。
 このような歴史の中で語り継がれてきた律法は、パウロにとって非常に大きな存在でした。そして、復活のキリストに出会う前のパウロにとっては生きるための指針そのものだったのです。
【パウロとガマリエル】
 パウロは、この律法を生きる指針として厳格に守りました。ユダヤ人の両親に育てられ、幼い頃から律法を暗記し、律法に従った生活をしてきました。使徒言行録22章3節から4節にかけてこのように書かれています。「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。」
 パウロの生まれ故郷は「キリキアのタルソ」でしたが、勉学のためにエルサレムに上り、ガマリエルという律法学者の門下生として厳しい指導を受けたようです。パウロは門下生の中でもとりわけ熱心だったようです。パウロのヘブル名である「サウル」とは「尋ね求める者」という意味で、まさに神を熱心に求める者でした。それが「この道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです」という行為に表わされています。
 このパウロの先生であったガマリエルという人は、使徒言行録5章にも登場しています。使徒言行録5章には、使徒と呼ばれるようになったイエスの弟子たちが福音を語り、多くのしるしと不思議な業を行ったので、多くの人々が集まってきた様子が記録されています。
 民衆がイエスの福音を信じ、その仲間に加わろうとしていた様子を見て、イエスの時と同じように、ユダヤ教の祭司や律法学者たちは使徒たちをねたみ、殺そうとして、捕らえました。そして、イエスと同じように形だけの裁判を開いた時にガマリエルが登場するのです。
 使徒言行録5章34節以下にこう書かれています。「ところが、民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルという人が、議場に立って、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、それから、議員たちにこう言った。『イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。』」こう語ったのです。
【パウロの回心】
 その場にパウロがいたかどうか、聖書には何の記録もありません。しかし、ガマリエルのもとで律法を学んでいたパウロが、このような逸話を聞いていないとは考えられません。
 使徒言行録26章12節以下で、パウロは自分の回心の様子を語っています。その中で復活のキリストから「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」と語られたと証言しています。
 「とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」という言葉を聞いた時、この言葉がパウロの良心に届いたのだと思います。同時にガマリエル先生の語った「あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」という言葉と呼応したのではないでしょうか。
 今回「温故知新」というテーマを付けました。ですから、律法という「古いもの」を土台として、新しく福音を見つけると結論付けたいと思っていました。ところが、ギリシャ語の原典を見ると「古いものは過ぎ去り」と訳されている通り、過ぎ去ってしまう、無くなってしまうという事なのです。
 一般的には「温故知新」でも構いません。しかし、福音については、何かを土台として、その上に積み上げられるものではないのです。神によって、新しく創造されたものなのです。16節にあるように、肉に従ってキリストを知るのではないのです。人間的な標準でキリストを知ろうとしても、それは無理なのです。
 キリストと結ばれる人は、新しく創造されるのです。今までの価値観ではなく、新しい価値観の中から生み出されるのです。それがキリスト者、クリスチャンなのだとパウロは語っているのです。

祈 り
賛美歌   新生518 イエスを信ぜしより
献 金   
頌 栄   新生674 父 み子 聖霊の
祝 祷  
後 奏