前 奏
招 詞   ヤコブの手紙1章21節
賛美歌   新生 21 栄光と賛美を
開会の祈り
賛美歌   新生362 主のみ名を伝えん ハレルヤ
主の祈り
賛美歌   新生435 山辺に向かいてわれ
聖 書   エレミヤ書32章36~44節
                         (新共同訳聖書 旧約P1240)
宣 教   「神の答え」    宣教者:富田愛世牧師
【エレミヤ書とエレミヤ】
 10月から、エレミヤ書をご一緒に読んできましたが、今日と来週で終わりになります。自分の中で振り返ったとき、エレミヤ書が書かれた時代や背景については説明しましたが、エレミヤ書自体についての説明がなされていなかったように感じました。
 今回の聖書教育のプログラムでは、有名な個所が取り上げられていなかったりしていたので、別のところも読みたかったという方も多いと思います。そういう意味で、この機会にエレミヤ書を全部読んだという方もおられるのではないでしょうか。たぶん全部読まれた方は、かなり混乱しているのではないかと思うのです。
 エレミヤ書はとても複雑な書物で、時系列的に見ると、断片的に書かれていて、順序だてて書かれていないのです。この32章は時系列的に並べるならば37章~38章の後の出来事なのですが、内容的に29章~36章までの一連の預言集との関係が深いので、この位置に置かれているようなのです。
 同じようなことが何箇所か出てきますし、46章以下の諸国に対する預言は、語られた時期がまったくバラバラなので、注意して読まなければ、混乱してしまうと思います。
 礼拝の中では読んでいませんが、聖書教育には参照箇所として1節から5節を読むようにお勧めされています。そこで分かることは、バビロンの軍隊によってエルサレムが包囲されているという緊迫した状態だったという事です。
 さらに、6節以降を読むと何が起こり、どのような方法でエレミヤが預言したのかが分かります。7節にアナトトという地名が登場し、そこの畑を買うように神が命じています。エレミヤは1章にあるように、この町の出身で、この町は祭司の町です。しかし、それは華々しさではなく、中央に対する周縁、首都エルサレムに対する地方を意味しているのです。
 内村鑑三は、好きな預言者としてイザヤ、ダニエル、エレミヤの3人をあげています。そして、それぞれイザヤは都会の預言者、ダニエルは朝廷の預言者、エレミヤは田舎の預言者と語り、それぞれの特徴を表現しています。つまり、エレミヤは中心に立つような者ではなく、その他大勢の一人を代表する預言者なのです。うっかりすると忘れられてしまうようなアナトト出身の、目立たない、忘れられそうな預言者ですが、そのエレミヤを神は用いるのです。
【エレミヤの状況】
 エレミヤが活動していた時代、バビロンはチグリス、ユーフラテス川を中心に勢力を拡大していました。北イスラエル王国を滅ぼしたアッシリアを滅ぼし、その勢いに乗って、パレスチナにも勢力を広め、南ユダに迫ってきました。そして、近隣の城壁のある町を次々と占領し、エルサレムに迫り、包囲していました。
 聖書に残されている預言者は、それぞれの時代にそれほどたくさんいませんが、実際にはもっと多くの預言者がいたようです。ただし、それらがすべて真の預言者だったとは限りません。偽の預言者も多く存在していたようです。現に28章ではハナンヤという偽預言者が登場し、エレミヤと対峙していました。王や民は希望を与えてくれる預言者としてハナンヤを支持していましたが、神の正義はハナンヤではなくエレミヤだったのです。
 エレミヤは預言者として神の言葉を忠実に語りましたが、それは希望の言葉ではなく、エルサレムが占領されるという否定的な言葉でした。その預言によって、エレミヤは獄に繋がれてしまったのです。
 37章をみると、そこにはエレミヤが捕らえられてしまう時の様子が詳しく書かれています。何度も言うように、エレミヤは神の言葉を忠実に語りました。それはエルサレムがバビロンによって占領され、人々が連れて行かれるというものだったのです。しかし、戦争の時、人は冷静になる事は出来ません。無理と分かっていても勝利できると思い込みたくなるのではないでしょうか。
 私は戦争を経験していませんが、戦争を経験した方々の証言や、映画やドラマを見ていて思うことがあります。それは日本軍の一部の将校たちは、日本が負けると分かっていたけれど、それを口にすることが出来ず、軍の命令によって戦っていたように思えるのです。同調圧力もあったと思います。もちろん、その時はどうなるか分からなかったかもしれませんが、冷静に互いの力を分析すれば一目瞭然だったのではないでしょうか。
 エレミヤ書でも、38章2節で「カルデア軍に投降する者は生き残る」とエレミヤは語りますが、役人たちは「士気をくじく」と言って激怒します。日本にも「生き恥をさらすな」というメンタリティーがありました。戦争状態による全体主義的な恐ろしさを感じさせる言葉だと思います。
【エレミヤの行動】
 さて、この32章にはエレミヤの特徴と言えるような預言の方法が出てきます。行動預言と呼ばれるもので、27章ではエレミヤはくびきを作り、それをはめて王のもとに行き、預言しています。このような行為は象徴的な行為なのです。
 神の命令はアナトトにある従兄弟の土地を買い取れというものでした。ここには二つの意味が含まれ、一つは神を第一にしなさいという事と、もう一つは普段と変わらぬ行動をせよという事です。
 世間からは「そんなことしている場合ではない」と批判されるでしょうが、預言者に求められるのは、神の常識なのです。神の常識というものは多くの場合、世の非常識なのです。なぜなら神は愛と義によって物事を考えられますが、この世は罪を土台にして物事を考えるからです。
 日本でも70年前の戦争中、キリスト教会は様々な試練を受けました。その結果、戦争に協力するという間違いも犯しましたが、それだけではなく信仰を守り通した例もあります。その一つに礼拝を続けたということがあげられます。
 世間では「月月火水木金金」という海軍の軍歌が歌われていましたが、教会は日曜日に礼拝を捧げていました。「礼拝なんか時間の無駄だ、そんな暇があれば、お国のために奉仕しろ」という時代でしたが、教会は変わらず礼拝するという普段と変わらない行動をとり続けたのです。
 普段と変らない行動をするということは、神を第一とする事と同時に、先にある希望を見ているということでもあるのです。今は占領され、あらゆるものを奪われてしまうかも知れません。土地も家も畑も奪われ、当時の状況から推測すると、敗戦国の民は奴隷にされることがありました。そうすると、人権さえも奪われてしまうのです。
 しかし、その先にある希望に目を向けなさいと神は語るのです。その希望とは、神が買い戻してくださるというのです。この行為を聖書は贖いと呼びます。ユダは滅び、バビロンに支配されるが、その支配から、神がユダを贖いだしてくださるのです。代価を払って買い戻してくださると、約束されるのです。
【神の定めた時】
 ここで注目すべきことは、エレミヤの預言が希望を与えるものとなったという事です。今までは「ユダは滅びる」「民は捕らえられる」とだけしか語ってきませんでした。しかし、ここにきて、その先のことが語られるのです。エレミヤはBC627に預言活動を始めました。まだ10代後半か20歳そこそこの若者でした。それから39年たった時の出来事です。
 神は全てのことに、時を定めておられます。タイミングです。このタイミングが大切なことで、人の人生さえ左右させるものなのです。
 リック・ウォレンという牧師はそれを波と表現しています。他にも風にたとえられることもあります。リック・ウォレン牧師は教会形成をサーフィンにたとえて「多くのクリスチャンや教会は、波のない時に、波を造ろうとしている。しかし、波を造るのは神の仕事であって、神が造られた波を見定めて、それに乗ることが重要である」と語っているのです。
 今回の選挙で野党は「反自公」という風に乗って勝ちました。風が吹いたから、風に乗ったのです。これを直接神の業と呼ぶのは難しいですが、全てに当てはまることなのです。キリスト教会にも風は吹いています。30年前には教会式結婚式が流行りました。20年前にはゴスペルが流行りました。それらも一つの風でした。その風に乗った、いくつかの教会は大きく成長しています。
 波や風や時を造るのは神の働きです。しかし、私たちは自分の好き嫌いで、波や風や時を判断してしまうのです。そして、自分の好きな波や風や時を造ろうとするのです。しかし、所詮人間には波や風や時を造ることは出来ません。
 私たちに許されているのは、神が造ってくださり、私たちの周りに備えてくださる、波や風や時を見つけ、その与えられた、波や風や時に乗ればよいのです。そこに神の答え、神の計画が用意されているのです。

祈 り
賛美歌   新生540 わが魂の慕いまつる
献 金   
頌 栄   新生673 救い主み子と
祝 祷  
後 奏