前 奏
招 詞 詩編24編1節
賛美歌 新生 26 ほめたたえよ造り主を
開会の祈り
賛美歌 新生521 キリストには替えられません
主の祈り
賛美歌 新生445 心静め語れ主と
聖 書 マタイによる福音書10章16~25節
(新共同訳聖書 新約P18)
宣 教 「用意されている」 宣教者:富田愛世牧師
【弟子の派遣】
今日の聖書箇所には、イエスが弟子たちを伝道へと派遣される様子が描かれています。その前に、マタイによる福音書が語る、ここまでのイエスの働きをもう一度、見返してみたいと思うのです。
1章、2章はイエスの誕生ですから、今は飛ばして3章に入るとバプテスマのヨハネの働きと、そこでイエスがバプテスマを受けられたことが記録されています。その後、荒野で誘惑を受け、ガリラヤでの宣教活動が始まるのです。
5章で山上の説教を語り、8章から具体的な働きとして、病に苦しむ人たちを癒されています。そして、10章で12人の弟子を選ばれたことが記録されています。この時、イエスの元には、もっと大勢の人々がついて来ていたと思われます。その中から12人を選ばれたのですが、その基準は全く分かりません。
貧しい漁師もいれば、裕福な漁師もいたと思いますし、徴税人や過激な民族派の活動家もいたようです。そのような弟子たちがイエスの中心的な働きである伝道、神の国について語るという重要な役目を担うことになるのです。
その時にこのようなたとえを話されたという事なのですが、なぜなのでしょうか。もしかすると覚悟を決めなさいという事なのかもしれません。イエスはご自分でしようとしていることが、ある人々にとっては目障りなことになると、知っていたのではないかと思います。
そのある人々というのは、当時のイスラエルでは正しい人、尊敬すべき人たちだったはずです。つまり、イスラエルの宗教指導者たちにとって、イエスの語る福音は、余りにも革新的過ぎて着いていけないし、見過ごすことのできないものだったのです。
しかし、多くの民衆が必要としていたのは、イエスが語る神の国の福音だったのです。今まさに悲しんでいる人がいるのです。その人に向かってイエスは「悲しむ人は幸いだ、なぜなら、慰められるからだ」と語るのです。そして、「義のために迫害される人は幸いだ、なぜなら、天の国はその人のものだから」と語るのです。
この言葉通り、弟子たちに向かって、あなたたちを迫害される社会へと遣わすと語るのです。そして、この言葉が真実だということを弟子たちは、身をもって知るようになるのです。
【羊としての自覚】
イエスは弟子たちを遣わすにあたって「狼の群れに羊を送り込むようなものだ」と語られました。イエスはなぜ、狼の群れに送り込むのでしょうか。また、なぜ弟子たちを羊にたとえたのでしょう。まずは、なぜ羊にたとえたのかについてですが、それは、羊の性格を知るとよく分かります。
今でも時々、同じようなことが起こっているようですが、30年ほど前に中国の内モンゴル自治区で、何千匹という羊の群れが湖に飛び込んで死んでしまったという事故が起こりました。その時の読売新聞の「よみうり寸評」にこんな記事が載っていました。
羊の群れはなぜ集団入水自殺のような行動をしたか?
先月、中国・内モンゴル自治区で起きた奇妙な話、
◆元上野動物園園長の中川志郎氏によると、羊群に加えられていたリーダー役のヤギ二匹が湖水に飛び込み、羊たちは次々、それに従ったらしい。群れて、追随するのは羊の特性だ。
◆羊飼いに連れられ、水飲みにやってきて、リーダーのヤギが安全な場所を見誤ったようだ。
こうして実際に起きた「事件」だが、まことに寓話性に富んだ話でもある。
◆人間も集団型動物だ。リーダーは正しい針路を取っているか。大衆は群れ、追随してはいないか。盲従は論外として、逆に、群れから離れ過ぎた「迷える子羊」も心配になる。
◆中国の古書には「百匹の羊群は五尺の童子でも東西思いのままに追えるが、一匹の 羊は王でも思うようにはできない」とある。迷える子羊を導くのはなかなか難しい。
◆導く人は「牧師」だが、牧師という言葉は「牧夫」つまり羊飼いから来ているという。
うなずける話だ。
1995年8月10日 「よみうり寸評」 より
つまり、羊には自分で考えて、判断するという能力が欠けているようなのです。ですから、狼の群れに入れられても、周りにいるのが狼だという事に気付かないのではなく、気付こうとしないで、周りと同じ行動をとろうとするのです。しかし、所詮は羊であって、周りの狼と同じ行動をとれるはずもなく、餌食になってしまうのです。
ですから、蛇のような賢さと鳩のような素直さが必要だというのです。しかし、この二つは相反することの代表のようなものです。また、イエスに選ばれた12人の弟子たちが賢さと素直さを併せ持つことのできるような優秀な人たちだとも思えません。
【正しいリーダー】
そのカギとなる事柄が、羊の性格の、もう一つの側面なのではないでしょうか。先ほどの「よみうり寸評」にあったように、羊は周りに合わせて、同じように行動することは得意としています。肯定的に捉えるなら協調性に優れているという事です。この点は日本人にもよく似ています。
そして、もう一つの側面はリーダーに従うという事です。肯定的に捉えるなら、従順さに優れているという事です。この点も日本人によく似ています。しかし、江戸時代の江戸っ子は判官びいきで、反骨精神が旺盛でした。私は明治維新以後の日本人に反骨精神が欠けてしまったように感じます。
ここで日本人論については語る必要がないので、ここまでにしますが、羊という生き物は、リーダーに対して非常に従順に従うという性質を持っています。だからこそ、羊には正しいリーダーが必要なのです。先ほどの集団自殺的な行動は、リーダー役のヤギが愚かなリーダーだったという事なのかもしれません。
当時のイスラエルにおいて、正しいリーダーたちは存在していました。今の私たちには考えられないような人たちがリーダーだったわけです。つまりヤギのようなリーダーです。イスラエルという民族を導いていたのは宗教指導者たちでした。祭司であり、律法学者と呼ばれる人々だったのです。そして、それは誰も疑うことのない現実だったのです。
そのような宗教指導者たちに従うことによって、人々の暮らしは豊かになっていたのでしょうか。もしかすると、一部の裕福な人々にとっては優遇されるような政策がとられていたのではないかと思います。しかし、ガリラヤに住む、周縁に追いやられた人々、貧しい人々にとっては、働いても働いても、誰かに搾取され続けているという状況だったのです。
イエスの考える正しいリーダーとは、自分たちを批判せず、従順に従う人たちのために政策を実行するようなリーダーではなく、迷える一匹の羊に対しても、良きリーダーでなければならないのです。
先ほどの「よみうり寸評」に中国の古書に書かれていることわざのようなものが載っていました。そこには「百匹の羊群は五尺の童子でも東西思いのままに追えるが、一匹の羊は王でも思うようにはできない」とあります。迷える一匹の子羊を導くのはなかなか難しいという事です。そして、真の正しいリーダーとは、それを可能にするリーダーなのではないでしょうか。
【狼の中へ】
それでは、もう一つの疑問として、なぜ狼の群れに送り込んだのでしょうか。イエスは弟子たちを、わざわざ危険の中に入れようとしているのではなく、現実を語っているのです。
弟子たちと同じように、私たちも狼の群れの中に送り込まれた羊なのかもしれません。聖書的に語るなら、人間社会は「罪の世」なのです。狼の群れと同じだというのです。そして、狼の中にいるのだという事に、気付こうとしないならば、罪の餌食になってしまうのです。
現代社会においては、様々な情報が氾濫しています。テレビやラジオ、新聞や週刊誌、さらにインターネットを通して、インスタ、Tiktok、YouTube、ちょっと調べればあらゆる所から情報を得ることが出来ます。しかし、それらの情報には多くの間違った情報、フェークニュースや偏った情報が含まれているのです。
罪の餌食という表現は、抽象的で分かりにくいかもしれません。それは、今、語ったように様々な情報によって思考が支配されてしまうことではないかと思うのです。
昔から教会の中でよく言われていた言葉に「聖書にはそう書いてあるけれど、現実には無理だ」という事があります。なぜ無理だと思うのでしょうか。それは社会の常識、つまり、様々な情報に支配されることによって、聖書の思想は理想でしかないと信じ込まされているからなのです。罪の餌食となった人の決まり文句となっているのです。
私たちは狼の群れに送り込まれた羊なのです。だから、しっかりとその現実に気付き、正しいリーダーに従わなければならないのです。正しいリーダーとは誰なのでしょうか。言うまでもなく、聖書の語るイエス以外にいないのです。
イエスと言う真のリーダー、羊飼い、牧者に従うならば、狼の群れに送り込まれたとしても、その餌食にはならず、そこから逃げ出すことが出来るのです。迷っているかもしれませんが、イエスを探そうとするならば、見つけることが出来るのです。
なぜなら、イエスは隠れているのではありません。あなたの隣りに寄り添っていてくださるからです。ただ、罪に支配されている時は、そのことに気付こうとしないから、気付けないのです。
罪に支配されているから助けてください。迷っているから助けてくださいと告白するならば、イエスは助ける用意が出来ているよと語り、助け出してくださるのです。
祈 り
賛美歌 新生575 栄えのみ神よ
献 金
頌 栄 新生671 ものみなたたえよ(A)
祝 祷
後 奏
2025年2月9日 主日礼拝
投稿日 : 2025年2月9日 |
カテゴリー : 礼拝メッセージ -説教ー