前 奏
招 詞 エレミヤ書7章11節
賛美歌 新生 14 心込めて主をたたえ
開会の祈り
賛美歌 新生176 主は豊かであったのに
主の祈り
賛美歌 新生397 み神を愛する主のしもべは
聖 書 マタイによる福音書21章12~19節
(新共同訳聖書 新約P40)
宣 教 「神の居場所」 宣教者:富田愛世牧師
【エルサレム入城】
マタイによる福音書21章は、イエスがエルサレムに入られた時の様子を記録しています。新共同訳聖書には1節の前に「エルサレムに迎えられる」という小見出しが付けられているように、ただ、エルサレムに来たのではなく、イエスが来たという事で、エルサレム中の人々が迎え入れたのです。
9節を見ると「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」と書かれています。群衆は皆「ホサナ」と叫んでイエスを迎え入れているのです。
この時の群衆の熱狂ぶりは、すさまじかったのではないかと想像します。しかし、その熱狂ぶりに危機感と恐れを抱く人たちがいたのも事実だったようです。それはユダヤの宗教指導者たちでした。
彼らは以前からイエスの言動に対して反感を持っていました。「伝統だ」という言葉によって、民衆を思考停止状態に陥れ、自分たちに都合の良い宗教的伝統を作り上げてきたのです。
ところがイエスは、そのような、にわか作りで形だけの宗教的伝統を、ことごとく破り、その言動によって、聖書の本質が明るみに出されてしまったのです。それに対してユダヤの宗教指導者たちは反論できなかったのです。それで、イエスを亡き者にしてしまおうという思いが固まったのでは中と思うのです。
そのようなイエスが、今日の聖書箇所を見ると、神殿を強盗の巣にしてしまっている両替人や商人たちに対して、実力行使しているのです。福音書の中で、イエスが誰かに対して手をあげているのは、ここだけです。それくらい、イエスの怒り、憤りは大きなものだったという事が分かるのです。
【イエスの怒り】
それでは、なぜイエスはこんなにも怒りをあらわにしたのでしょうか。それは、人々が神と出会うための場所が、それ以外の目的のために使われていたからです。それも宗教指導者たちの都合で、貧しい者たちの信仰心を利用して搾取していたからです。
イエスが追い出した両替人や商人たちは何をしていたかというと、当時、神殿に献げられるお金は、一般的に通用しているお金ではありませんでした。一般に通用しているお金はローマ帝国のもので、そこにはローマ皇帝の姿が描かれていました。
ですから、偶像礼拝を禁じていたユダヤ教としては、皇帝崇拝につながるものとしてローマのお金を神殿に献げることはできないと決めていたようです。そのために神殿で用いられるお金はユダヤのお金でなければならなかったのです。この両替人は一般的なローマの通貨をユダヤのお金に換えていたのです。
また、神殿に献げられるべき、いけにえの動物についても、レビ記に記述があるように、傷があってはいけないとされています。ですから、もし、自分の家畜を献げようとした時、万が一、傷があったとしたら、それは献げものとして用いることが出来なかったのです。
そこで、神殿御用達の商人が、神殿の境内でいけにえ用の動物を売っていたという事なのです。そして、このような特別な条件によって商売している人は、いつの時代でも権力者、ここでは宗教指導者たちとつながっていて、賄賂を贈っていたと考えられているのです。
レビ記に記述されている規定は、規定として大切なものです。しかし、規定を守るため人々の宗教心、神に礼拝を献げたいという思いを利用して、金儲けの道具にしてしまうという事がイエスには許せなかったのではないでしょうか。
また、このような規定を杓子定規に守ることによって、そこから排除されてしまう人たち、つまり、社会的な弱者たちが神殿に出向くことが出来なくなっていることに対する怒りだったのではないでしょうか。
【イスラエルの礼拝】
この当時、エルサレムに建っていた神殿をイエスは大切に思っていたかというと、そうでもないようです。建物は建物でしかありません。そこに神はいないのです。しかし、人が神と出会う場所として神殿が果たしてきた役割は大きなものでした。
それでは、イスラエルの民が神殿を建てるようになったいきさつはどうだったのでしょうか。イスラエルの歴史を振り返りながら、少し見ていきたいと思います。
まず初めに、アブラハム、イサク、ヤコブといった族長時代はどうだったのでしょうか。族長時代は特定の決まった場所ではなく、旅する中で、その場、その場において、いけにえを献げ、祈るための祭壇を作っていたと思われます。創世記12章を見ると、アブラハムはハランを出て、カナンの地に入りました。そして、シケムの聖所、モレの樫の木の所で祭壇を築いて礼拝しているのです。
族長時代の次はエジプトでの奴隷生活から解放された出エジプトの時代になります。そこでは、神からの啓示によって幕屋と呼ばれる礼拝所の建設が命じられます。出エジプト記25章に、その詳細が記録されています。
この時も、特定の場所ではなく、旅の途中で神が示された場所に着くと、そこで幕屋を組み立て、礼拝の場所としていました。そして、別の場所に移動する時には、幕屋を分解して、次の場所へと向かうようになっています。この時の幕屋の材料や組み立て方、さらには調度品についてまで、細かく明記されています。
そして、ダビデやソロモンといった王国の時代になると、カナンの地に定住するようになり、エルサレムを王の都として、そこに神殿を建てようという事になるのですが、そもそも、神はイスラエルに対して、人間の王を立てることに否定的でした。しかし、イスラエルの民が他の国と同じように王が欲しいと懇願したのでサウルという人物が初代の王となったのです。
そして、ダビデ王は歴代誌上17章で自分は立派な王宮に住んでいるに、神の居場所がないのはおかしいとして神殿を建てようとするのです。しかし、神は人の建てたものには住まないと宣言します。にもかかわらず、ダビデの次に王となったソロモンが神殿を建てるのです。
【真に神と出会う場】
神殿が出来たことによって、人々の心、信仰心は強められたかもしれません。しかし、時間が経つにつれ、宗教指導者などの権力者たちの権威主義的な欲も出てきてしまったのではないかと思うのです。
その後、イスラエルは南ユダ王国と北イスラエル王国に分裂し、北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、南ユダもバビロニアに滅ぼされ、捕囚となりました。その時、神殿も破壊されましたが、70年後にバビロン捕囚から帰還した時、神殿が再建されました。
イエスの時代の神殿は、この再建された第二神殿と呼ばれるのもだったのです。そして、人々の信仰は神殿中心の形骸化された信仰となっていました。
イエスはイザヤ書56章7節の後半を用いて「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」と語りました。さらにエレミヤ書7章11節を用い「強盗の巣にしている」と語りました。
イザヤの時代、ユダヤ教はユダヤ人の民族宗教でした。それにも関わらず、神は「すべての民」と語り、外国人にも開かれるべき神殿の本質を語っているのです。そして、そこでなされるべき行為は、祈りなのです。もちろん、この祈りという言葉の中には礼拝も含まれていると思います。
イエスは神殿などは建物にすぎないと思っていたでしょうが、その本質は神と出会う場所であり、すべての人が神に祈りを捧げるべき場所だと語るのです。特定の場所に神がいるのではなく、二人三人がイエスの名において集まり、祈る時、そこにイエスがおられ、神がそこにおられるのです。
神殿と教会を同じにしてはいけませんが、本質的なものは同じだと思うのです。教会も「すべての民の祈りの家」なのです。そして、神に出会う場なのです。私たちの教会を振り返り、すべての民の祈りの家となっているか、神に出会う場になっているか、確認していきたいと思います。
祈 り
賛美歌 新生576 共に集い
献 金
頌 栄 新生671 ものみなたたえよ(A)
祝 祷
後 奏
2025年3月16日 主日礼拝
投稿日 : 2025年3月16日 |
カテゴリー : 礼拝メッセージ -説教ー