前 奏
招 詞   コリントの信徒への手紙一10章1~4節
賛美歌   新生 77 恵みふかき 父なる神
開会の祈り
賛美歌   新生344 聖なるみ霊よ
主の祈り
賛美歌   新生426 語りませ主よ
聖 書   民数記9章15~23節
                (新共同訳聖書 旧約P228)
宣 教   「旅は道連れ」    宣教者:富田愛世牧師
【旅は道連れ】
 7月は4回にわたって民数記を読むことになりましたが、民数記といわれても、多くのクリスチャンにとって、名前は知っているけれど、しっかりと読んだことがないというものの一つではないかと思うのです。
 ヘブライ語の聖書にはいくつかの分類方法がありますが、創世記から申命記までの5つの文書は律法という分類になり、ひとつのまとまりのある文書となっています。ヘブライ語では「トーラー」と呼ばれていて、この5つの文書はイスラム教でも聖典として認められています。
 この5つの文書の中で、創世記と出エジプト記は、それなりに読んだことのある人がいると思いますが、レビ記、民数記、申命記の3つの文書は、とっつきにくくて、読み始めようとしても途中で挫折してしまうことが多いように思えます。
 新約聖書のマタイによる福音書の最初に、イエス・キリストの系図が記録されていて、そこから読み始めると、分けの分からない名前ばかりが出てくるので、挫折するといわれますが、それと同じように、民数記も1章はエジプトを脱出したイスラエルの民を部族ごとに、その人数を調べることから始まっています。分けの分からない「何々族が何人」となっているので、そこで挫折する人が多いという事です。
 そのように「つまらない」「退屈」というレッテルが貼られている民数記ですから、何とか面白そうな切り口で、読んでいきたいと考えています。
 今日は「旅は道連れ」というタイトルを付けましたが、これは皆さんもご存じのように「旅は道連れ、世は情け」ということわざから取りました。このことわざは江戸時代の旅を元にして作られたことわざだそうです。江戸時代は公共の交通機関もありませんし、今のようにナビがあるわけでもありません。地図は一応あったようですが、現代のものに比べるなら、はるかに精度の低いものだったようです。ですから、一人で旅をする人はとても心細かったようです。
 そのような旅でも、誰かと一緒ならば心強く、安心して旅することが出来るということから、人との協力の大切さという事が、このことわざの意図するところです。そのように考えると、イスラエルの民がエジプトを脱出して、約束の地、カナンの地に行くまでの行程には、神が共にいてくださったのですから、険しく、厳しい旅でしたが、心強い旅になったと思うのです。

【荒野の40年】
 さて、今日はこの民数記9章から「荒野の40年」という事と「雲」という事、そして、「モーセは約束の地に入れなかった」という3つの視点から読んでいきたいと思います。
 まず「荒野の40年」という事ですが、私たちにとって、様々な言葉には既成概念のようなものが付けられているように思うのです。もちろん、形容詞などは様々な概念を表わすための言葉ですから当然の事です。動詞についても、行動を表わすための言葉ですから、その言葉から思い浮かべるものが共通概念として出て来て当然だと思います。
 しかし、名詞になるとどうなのでしょうか。その「もの」に対する印象は、必ずしも共通の概念になるとは限らないと思うのです。「雪」という名詞を聞いた時、冬とか、冷たいという具体的な季節や体感的なものをイメージする人が多いと思いますが、ロマンチックなどとイメージする人もいます。私は札幌での暮らしの経験から、厄介なものとか危険なものというイメージを持ってしまいます。
 「荒野の40年」という時の「荒野」に皆さんはどのようなイメージを持つでしょうか。温暖で、自然豊かな日本で生まれ育った人にとって、荒野というものに対するイメージは、荒涼な砂漠地帯や厳しさ、人間が住めない場所、といったようなマイナスイメージが多いような気がします。
 私は実際にパレスチナ地方に行ったことがありませんが、聞いた話によると、シナイの荒野には、緑がほとんどなく、渇いた砂や岩のゴロゴロした所だそうです。人が住むには適さない場所だという事です。
 環境的には、非常に厳しく、そこを旅することは、死の危険と隣り合わせのような状況が続く場所なのです。しかし、イスラエルの神は、そのような場所を旅する民に対して、昼は雲の中から、夜は燃える火のように見える雲の中から導いてくださったのです。
 つまり、神が共にいてくださる場所が「荒野」なのです。私たちのイメージとしては、神から一番遠い場所であるかのように見える「荒野」こそが、神が共にいてくださる場所だったという事なのです。40年の間、神はいつもイスラエルと共にいてくださったのです。そう考えると、荒野の40年というのは、苦難の時ではなく、祝福に満ちた40年だったのではないでしょうか。

【雲】
 次に「雲」という事ですが、雲に対するイメージというのも、様々なものがあると思います。先日、梅雨の合間であるにも関わらず、うろこ雲のような雲が出ていました。一般的にうろこ雲は秋の雲といわれるので不思議だなと思いましたが、最近の天候を見ると異常気象なので、梅雨の合間にうろこ雲が見えても不思議ではないのかも知れません。
 このように雲は季節や天候との関係が深く、農業など自然を相手に仕事をされている方にとっては、ひとつの目安となるものかもしれません。反対に「雲をつかむような話」などと言われるように、漠然としてはっきりしない様子を表わす時に雲が用いられることもあります。
 社会的文脈の中では、不透明さや何かを隠蔽する時、前兆として用いられることが多く、季節や自然という文脈においては、無常、流転、儚さとして用いられます。
 それらに対して、宗教的には神秘性や超越性、また、啓示の方法として用いられることが多く、ヘブライ語聖書では、神の臨在や神の栄光を現わす時に用いられています。
 出エジプトの出来事においては、ファラオがイスラエルの民を去らせたことが記録されている出エジプト記13章に「昼は雲の柱、夜は火の柱」で民を先導したとあります。続く14章では「主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。」と記録され、イスラエルの民は紅海を渡り、エジプトの追っ手から逃れることが出来たのです。
 ここで「火と雲の柱」が神の臨在を表わしているという事が示されます。この後19章でシナイ山に着き、20章で十戒が与えられるわけですが、この時は「山が煙に覆われ」という表現から「神のおられる密雲」という表現に変っていくのです。
 そして、民数記では「雲は幕屋を覆い、夜は燃える火のように見えた」というように「雲」が中心となって神の臨在を表わすようになるのです。
 「雲」という身近なものの中に神が臨在されるという事は、神はいつも私たちと共にいて、私たちが意識しようがしまいが、常に導いておられるということを意味しているのです。そのことによって、私たちは安心して、日々の生活を送ることが出来るのです。

【思い込み】
 最後に「モーセは約束の地に入れなかった」という事ですが、こう言ってしまうと何となくネタバレ的なことになりますし、今日の聖書箇所には、そこまでの事が書かれていないので言い過ぎかもしれません。
 しかし、この箇所の中心テーマとして記録されているのは、雲が天幕を離れて昇れば、民は旅立ち、雲が一つの場所に留まれば、そこに宿営したという事なのです。つまり、神に対する従順な態度の重要性が語られているわけです。
 最初に「荒野」という事に触れましたが、私たちの思い込みの中で「荒野」というのは、荒れ果てていて、人の住むことのできない場所、岩と砂しかなく、緑の育たない不毛の地、命の躍動感のようなものを感じることのできない沈黙、などマイナスイメージしかないと思われています。
 しかし、イスラエルの民にとっては、絶えず神が共にいてくださった場所が「荒野」だったのです。つまり、マイナスイメージの場所ではなく、神が共にいてくださることによる、安心できる場所だったのです。
 モーセという存在にしても、イスラエルをエジプトから脱出させた英雄であり、神からの十戒を受け取ったリーダーでした。ですから、約束の地、カナンの地には一番先に入るべき人だったと思ってもおかしくありません。しかし、神の計画は違いました。モーセは約束の地を目の前にして召されているのです。
 人の思い通りにはいかないという事なのです。神は私たちが祈る時、私たちの願いを叶えてくださる。熱心に祈れば願いが叶い、願いが叶わない時は、祈りが足りない、熱心さが足りないと思い込んでしまうのです。
 しかし、そのような思い込みは間違いなのです。神の臨在のしるしである「雲」が動いた時、私たちも動き、留まる時、私たちも留まるのです。せっかく動き出して、調子がいいから進み続けたいと思ったとしても「雲」が留まったなら、動いてはいけないのです。たとえそれが一日でも、一年であっても、神の時を待たなければならないのです。

祈 り
賛美歌   新生645 すべてをくださる恵みの神
主の晩餐  
献 金   
頌 栄   新生674 父 み子 聖霊の
祝 祷  
後 奏