前 奏
招 詞   ローマの信徒への手紙12章9~10節
賛美歌   新生 21 栄光と賛美を
開会の祈り
賛美歌   新生523 主われを愛す
主の祈り
賛美歌   新生585 救いのぬし主よ
聖 書   アモス書5章4~15節
                         (新共同訳聖書 旧約P1434)
宣 教  「神を求めて生きよ」    宣教者:富田愛世牧師
【滅びか、いのちか】
 今日は「子どもの成長を感謝する日」となっています。これは教会の出来事として「子どもの成長を感謝する」のですが、なぜ、子どもの成長を感謝するのでしょうか。このような質問をすると、場の雰囲気が悪くなるので、あまり訪ねたくないことなのですが、敢えて皆さんにも考えて欲しいと思っています。
 この時期、多くのキリスト教会では「幼児祝福式」として、子どもたちの成長を祝う時を持っています。ただし、これは日本の教会ではという限定的な行事です。というのも日本の習慣には、この時期「七五三」という子どもの成長を祝う習慣があり、教会もこの習慣に合わせて「幼児祝福式」を行うようになったと思われます。
 ただ、日本の習慣といっても「七五三」は神道に起源をもつ行事で、ほとんどの場合は神社に行って、子どもの成長を感謝する祈祷をあげてもらい、さらなる成長を祈願する儀式でしたから、異教の習慣だといって拒否する教会もたくさんありました。
 私の感覚では、この30年くらいの間で受け入れられるようになったのではないかと思います。私が子どもの頃、私の通っていた教会では行われていませんでした。しかし、神道や仏教に起源があるからといって、ただ拒否するのではなく、福音の光の中で新しく作り変えることの方が「宣教」という文脈の中では大切なことなのではないかという考え方から、今のように広まったのだと思います。
 12月にクリスマスを祝うのも、同じような文脈の中から生まれた「キリスト教会」の習慣だと思います。ですから、クリスマスツリーを飾るのは異教的だとか、サンタクロースは商業主義だとか、いろいろ言われますが、大切なのは、何を目的にしているかという事で、目的のための手段ならば、ある程度の事は認めていかなければならないのではないでしょうか。
 さて、前置きが長くなってしまいましたが、今日はアモス書5章4節から読んでいただきましたが、4節にある「まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。」という言葉は、預言者アモスが語る預言の中心的なメッセージなのです。
 神は「生きよ」と語ります。この言葉はとても強い命令的な言葉です。つまり、神はイスラエルを裁くために預言者を遣わしたのではなく「生かす」ために遣わしているのです。
 アモスが活動していた時代、北イスラエル王国はヤロブアム二世が統治していて、北イスラエル王国史上最大の繁栄を謳歌していました。政治的にも軍事的にも安定した状態で、経済的な豊かさの中で生活していたようです。
 律法によって定められていた、様々な祭りを祝い、神礼拝を捧げていました。前回「北イスラエルには後世に残るような立派な神殿はありませんでした」と言いましたが、ベテルなどには金の子牛をご神体とした神殿が作られていたことが、考古学的な発掘によって証明されています。
 つまり、表面的には宗教的に熱心に見えるけれど、真の神を礼拝していたわけではなかったようです。そして、国が繁栄しているように見える裏側では、貧しい者が搾取され、人権無視され、正義がお金で買われていくという現実があったのです。
 アモスは、そのような形だけの信仰、形骸化された礼拝を鋭く指摘し、悔い改めを迫ったのです。そして、神からの呼びかけは「わたしを求めよ、そして生きよ。」という言葉だったのです。

【形だけの信仰】
 続けて5節では「しかし、ベテルに助けを求めるな ギルガルに行くな ベエル・シェバに赴くな。ギルガルは必ず捕らえ移され ベテルは無に帰するから。」と語られます。
 これらはイスラエルの主だった聖所です。ベテルとは族長ヤコブが旅の間に夢を見、神と出会った場所でした。そして、この当時もイスラエルの宗教的な中心地です。ギルガルはヨシュアがカナンの地に初めて足を踏み入れた地であり、神の恵みを象徴する地でもありました。ベエル・シェバはアブラハムが長く滞在した場所で、イサクはそこに祭壇を築きました。
 しかし、アモスの時代にはそれらの聖所が偶像礼拝の場所となってしまっていたのです。昔は神と出会う場所であったにも関わらず、今は人間の都合に合わせた礼拝の場所に成り下がっていたのです。
 人々は厳粛な、聖なる儀式を捧げながら、実際には自己中心的な願望を神に押し付け、神を崇めるのではなく、神の名を語り、神を利用していたのです。
 アモスは聖所に集まる民に向かって6節にあるように「主を求めよ、そして生きよ。さもないと主は火のように ヨセフの家に襲いかかり 火が燃え盛っても ベテルのためにその火を消す者はない。」と語ります。
 つまり、いくら礼拝を続けていたとしても、礼拝者の心が真の神に向いていないのなら、その信仰は滅びに向かっていくというのです。神が求めておられるのは「形」としての礼拝ではありません。格調高い、権威ある言葉が語られ、厳粛な雰囲気の中で礼拝が捧げられたとしても、礼拝者の心が神に向かっていなければ、何の意味もないのです。
 逆に、つたない言葉であったとしても、言葉に詰まりながら、何度も言い直したとしても、赤ん坊の泣き声や鼻をすする音がしていたとしても、そこに集う人々の心が、ただ神の御を見上げていたとするなら、神をそのような礼拝を愛されるのです。
 イエスもマルコによる福音書10章13節以下でこう語っています。「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」
 私を含めて、大人は自分の価値観が正しいと思い込んでいるのです。そして、その価値観に合わないものを「未熟」「未完成」だと裁いてしまうのです。礼拝にも同じことが当てはまります。自分たちが捧げてきた礼拝が正しく、少しでも違う要素が入ると「間違っている」と思い込み、拒絶するのです。
 自分たちの価値観に当てはめようとするという事は、アモスが語る形骸化した礼拝を捧げるイスラエルの民と同じになってしまうのです。それは、真の礼拝ではなく、神を自分の願望をかなえる手段としているイスラエルの姿そのものなのです。

【神の求める信仰】
 それでは、神が私たちに求めている信仰とは、どのようなものなのでしょうか。アモスは7節でこう語っています。「裁きを苦よもぎに変え 正しいことを地に投げ捨てる者よ。」当時のイスラエルでは裁きの座で正義がゆがめられ、貧しい者が搾取されていました。神への信仰が形だけになる時、人との関係も壊れてしまいます。信仰が現実の生活に結び付かない時、それは単なる宗教行事で終わるのです。
 しかし、神はアモスを通して呼びかけておられるのです。14節、15節を見てください。「善を求めよ、悪を求めるな お前たちが生きることができるために。そうすれば、お前たちが言うように 万軍の神なる主は お前たちと共にいてくださるだろう。悪を憎み、善を愛せよ また、町の門で正義を貫け。あるいは、万軍の神なる主が ヨセフの残りの者を 憐れんでくださることもあろう。」
 神を求めることと、善を行うことは切り離すことが出来ません。真の信仰とは、正義と愛の実践を伴うのです。私の口から「正義と愛」などと言う言葉が出てくるのはキャラ的に不自然かもしれません。しかし、これは私が私の意思で語っているのではありません。
 聖書が語っているのです。神を心から求めるふりをする人は。人を愛そうと努力し、正義を重んじようと努力するのです。もちろん、人を愛し、正義を重んじる努力は悪いことではありません。しかし、神を心から求める時、その人は人を愛し、正義を重んじるように運ばれるのです。気づいたら、人を愛し、正義を重んじていたという事なのです。

【生きよ】
 アモス書のメッセージは厳しい裁きの言葉に満ちていますが、その根底には神の深い愛があります。神はイスラエルを滅ぼすために語っているのではありません。滅ぼすためではなく、「生かすために」語っているのです。
 「わたしを求めよ、そして生きよ。」この言葉は、神の痛みと願いのこもった招きの言葉なのです。イスラエルの民が滅びることを神は望んでいません。神はイスラエルが、神の前に真実の悔い改めをし、もう一度ご自分の元へと立ち返り、真実な信仰をもって生きることを望んでおられるのです。
 この招きは、私たち一人ひとりにも向けられています。私たちは日々、忙しさや不安、社会の価値観の中で、いつの間にか神を忘れがちです。しかし、神は「あなたが生きるために、わたしを求めなさい」と語られるのです。
 礼拝は神を求める心の表現です。しかし、それは日曜日の1時間だけではありません。神を求める生き方とは、月曜日から土曜日までの生活の中で神の計画を探り求めていくことです。
 14節をみると、善を求め、悪を遠ざけるなら、私たちは生かされるのです。そして、万軍の神なる主が共にいてくださるという約束が与えられるのです。

祈 り
賛美歌   新生614 主よ 終わりまで
献 金   
頌 栄   新生673 救い主 み子と
祝 祷  
後 奏