前 奏
招 詞 イザヤ書7章14節
賛美歌 新生 8 主の呼びかけに
開会の祈り
賛美歌 新生157 来れ 友よ 喜びもて
主の祈り
賛美歌 新生195 待ちわびし日
聖 書 ルカによる福音書2章1~20節
(新共同訳聖書 新約P102)
聖歌隊賛美 「みくにをもみくらをも」
宣 教 「大きな喜び」 宣教者:富田愛世牧師
【イエス誕生の背景】
クリスマスおめでとうございます。今日、こうして皆さんと共に救い主イエスの誕生を、クリスマスをお祝いすることができ、とてもうれしく思います。
しかし、今、私たちの周りを見ると、必ずしも喜んでばかりいられない状況があります。ガザで起こっているパレスチナ人へのジェノサイド、ウクライナとロシアの戦争、ミャンマーの軍事政権による残虐行為、その他にも内戦や紛争の起こっている地域があります。平和のために祈り続けていきたいと思っています。
なぜ、こんなことを言ったかというと、クリスチャンであろうが、なかろうが、人はみな、平和を待ち望んでいると思います。特にクリスマスという時期、それを口に出したり、行動に移したりする人が多いような気がします。なんとなく、みんなが暖かい気持ちになり、穏やかに、平和に過ごしたいと思う時なのです。
クリスチャンではありませんが、ジョン・レノンと小野洋子の有名な歌で「HAPPY CHRISTMAS」という歌があります。この歌には副題というか、カッコ付けでもう一つのタイトルがクレジットされています。それは「War is over」つまり、戦争は終わったという題名が付けられています。意味としては、こちらが本題になるのではないかと思うのです。
なぜ、クリスマスと平和が結びつくのでしょうか。それはイエス・キリストが生まれた日だからなのです。イエス・キリストはユダヤのベツレヘムという町で生まれましたが、それは偶然ではなく、理由があって、そこに誕生しました。
当時、ユダヤを支配していたのはローマ帝国で、ローマ帝国の皇帝から「住民登録をせよ」との命令が下されました。住民登録をするということは、どういうことでしょうか。それは、人口を調べ、どのような人々がいるかを知ることにより、税金を徴収し、徴兵の義務を課すためだったのです。
つまり、国にとって、役に立つ人間と、役に立たない人間を選り分ける作業だったといえるのです。そんな時代にイエスは生まれたのです。
【数に入らぬ人々】
このローマ皇帝の命令によって、ユダヤ中の人々が、生まれ故郷に帰り、住民登録をしたのです。今の日本のように、生まれた時に出生届けを出していれば、大変なことではなかったのでしょうが、当時はそんな制度はなかったので、民族大移動のような状況が起こったようです。
ヨセフとマリヤも聖書に書いてあるように、ヨセフの故郷であるベツレヘムに旅しました。そして、ベツレヘムで落ち着くまもなく、マリヤはイエスを生むのですが、聖書には「初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」と書いてあります。
ここから分かるように、マリヤとヨセフは普通の家、人が寝起きする場所に泊まることができず、家畜小屋で休まなければならなかったのです。それほど多くの人々がベツレヘムに来ていたり、また、移動中に立ち寄ったりしていたのです。
しかし、そんな時に、住民登録のために、生まれ故郷にも帰らず、いつもどおりの仕事をしている人たちもいたのです。それは8節以降に登場する、羊飼いたちでした。
今の日本の社会では、すべての職業は平等であるとされています。職業による優劣はないというのが、一応の建前です。しかし、聖書の時代のユダヤには、身分の違いがあり、それに伴って職業にも、歴然とした差別があったのです。
羊飼いというのは、羊の持ち主、オーナーではなく、雇われて羊の世話をする人たちでした。彼らの仕事は、生き物相手なのでユダヤの律法で大切にされている安息日を守ることが出来ず、汚れた仕事とみなされていたようです。そして、時の支配者、政治家たちからは、役に立たない、数にも入らない存在とされていたのです。
【与えられる喜び】
そんな彼らに、信じられない、不思議なことが起こったのです。9節を見ると「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らした」とあります。人々からは認められない存在だった羊飼いたちに、天使が現れ、救い主の誕生を知らせました。
はじめ羊飼いたちは恐れ、戸惑いました。しかし、天使たちの言葉と喜びに満ちた賛美を聞き、彼らの気持ちは変えられていったのです。
私たちの常識で考えるならば、何かを受けるときには、それなりの対価を払わなければなりません。仕事をしているなら業績を上げることや上司から評価されることが必要だと考えるのです。しかし、神が与えると約束されるものには、そのような行為、条件は一切必要ないのです。
羊飼いたちは、神にとって役に立つことを何かしたのでしょうか。聖書を読む限りにおいては、何にもありません。むしろ、宗教的には神から、程遠い存在だと見られていた人々です。まじめに仕事をしていたのか、どうかも分かりません。
しかし、神は羊飼いたちを選ばれたのです。そして、一番初めに、救い主の誕生を知らせたのです。救い主の誕生を教えてくださいと、願っていたわけでもありません。言ってみるならば、一方的に、勝手に知らされてしまったのです。もしかすると、知りたくもないことを知らされたかもしれません。しかし、神の選びの前に、人間はまったく力を持てないのです。
神に選ばれた、羊飼いたちは、はじめは「非常に恐れた」と書かれていますが、先ほども言ったように、天使の言葉と喜びに満ちた天の大軍の賛美を聞き、変えられ、躊躇することなく急いで家畜小屋のあるところまで行きました。そして、家畜小屋でマリア、ヨセフそして幼子イエスに出会い、彼らの喜びは頂点に達しました。
【すべての人への喜び】
この夜、羊飼いたちに与えられた喜びは「民全体に与えられる大きな喜び」でした。「民全体」つまり、クリスマスの出来事は「すべての人」に与えられるものなのです。時々、教会の中で「デパートやレストランまでがクリスマスに便乗して商売をするのはけしからん」とおっしゃる方がいます。確かにそうかもしれませんが、目くじらを立てる程のことではないと思うのです。
私は、意味が分からなくても、とにかく「クリスマスは喜びの日」だと思ってもらいたいと願っているのです。なぜなら、神が「民全体に与えられる大きな喜び」を羊飼いに伝えたからです。
そして、神から与えられる「大きな喜び」を受けた人は、必ず変えられるのです。宗教的には無関心だった羊飼いたちが、救い主イエスにお会いしたことによって神をあがめ、賛美しながら帰っていきました。つい、数時間前までは、神とは無縁な人たちが神を賛美するように、変えられてしまったのです。
この「喜び」は、ただ嬉しいということではありません。誰からも相手にされなかった人々、役に立たないと排除された人々が神に認められ、一人の人間としての尊厳を回復することのできた喜びなのです。
神に認められ、喜びに満たされた羊飼いたちは、賛美しながら帰って行ったのです。賛美とは、神の御名をほめたたえることであり、神は素晴らしいと宣言することなのです。
なぜ神はすばらしいお方なのでしょうか。それは、私たち一人ひとりを創られ、私たち一人ひとりをかけがえのない存在、大切な存在だと、どんな時にも言い続けてくださるお方だからです。どんな大きな犠牲を払ってでも、私を愛し抜いてくださるお方だからです。ですから、羊飼いたちの賛美は私は私であり、他の誰でもなく、他の誰とも比べられる必要がない。ということを宣言することだと思うのです。
今の時代、私たちはいつも何かと比較され、役に立つか、立たないか、必要とされているか、いないか。そのような強迫観念の中、目に見えない何かに怯えながら、必死に生きているのではないでしょうか。しかし、神は「地には平和、御心に適う人にあれ」と語りかけてくださるのです。何かに怯えるのではなく、平和が与えられると約束してくださるのです。
今日、ここにお集まりの皆さまが、神からの贈り物として、救い主イエスを受け入れ、心に喜びと平和を得られますように。お祈りいたします。
祈 り
賛美歌 新生180 イエスがこころに
献 金
頌 栄 新生673 救い主 み子と
祝 祷
後 奏
2025年12月21日 クリスマス礼拝
投稿日 : 2025年12月21日 |
カテゴリー : 礼拝メッセージ -説教ー
