前 奏
招 詞   詩編100編1~2節
讃 美   新生120 主をたたえよ 力みつる主を
開会の祈り
讃 美   新生367 神によりて
主の祈り
讃 美   新生290 主の祈り
聖 書   ローマの信徒への手紙1章1~7節
                (新共同訳聖書 新約P273)

「キリスト・イエスの僕」              ローマの信徒への手紙1章1~7節

宣教者:富田愛世牧師

【ローマの信徒への手紙】

今週からしばらくローマの信徒への手紙をご一緒に読んでいきたいと考えています。自分の中でローマの手紙を続けて読むのは無謀な挑戦のような気がしていますが、出来るところまでは続けていきたいと思っています。

この手紙は新約聖書のなかでたいへん高い評価を受けているもので、キリスト信仰においてとても重要なものです。多くの人々がこの手紙を本当に素晴らしいものであるとコメントしています。

宗教改革者であるルターは「新約聖書の中の最高の書物であり、最も純粋な福音である」と評価していますし、アメリカの思想家であるジョン・ノックスは「疑いもなく、既存の書物の中で最も重要な神学書である」と語っています。また、パウロにとっての福音理解、さらに信仰のあり方を明確に語っています。そして、パウロはこの手紙を通して「キリスト教は何であるか」という問いに答えています。

この手紙を書いたのはパウロで紀元57年頃にコリント滞在中に書かれたのではないかと言われています。ローマの教会は誰がたてた教会なのかは分かりませんが、この時点でパウロはまだローマに行ったことがなかったので、パウロがたてたものではないと言うことはハッキリしています。最初の挨拶にしても、他のテサロニケやフィリピの信徒への手紙などと比べると少し感じが違っていることがわかります。

他の手紙では挨拶の中でパウロがその時に一緒にいた同労者の名前、例えばテモテやシルワノといった名前を書いていますが、ローマでは「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから」というように自分の名前しか出していないのです。

パウロ自身まだ会ったことのないローマの教会の信徒へ向けて書いているのですから、緊張しながら、失礼のないように、フォーマルな形で書いたのではないかなと思います。

【使徒パウロ】

それではこの手紙を書いたパウロとはどのような人物だったのでしょうか。ほとんどの人が「もう知っているよ」と思うでしょうが、今日はもう一度あらためて聖書から聞いてみたいと思います。

新約聖書の中にある「手紙」と言われるものの多くがパウロによって書かれたか、あるいはその影響を受けて書かれたものだと言われています。具体的にはローマ、コリントの一と二、ガラテヤ、フィリピ、テサロニケ一、フィレモンの7個の手紙がパウロによって書かれたとされています。エフェソ、コロサイ、テサロニケ二、テモテの一と二、テトスへの手紙は、直接パウロが書いたという証拠がないので、誰が書いたのかは分かりません。

 パウロはローマ帝国の東部属州である、キリキヤ州の州都タルソスで生まれました。今はトルコの南部にあるタルススという町にあたると思われます。厳格なユダヤ教徒である両親のもとで育ち、幼いころから律法を学び、ユダヤ教の名門であるガマリエルというラビに師事したようです。ユダヤ教徒の中でもエリートとして教育を受けました。

パウロが聖書に最初に登場するのは使徒言行録7章のステファノの殉教の場面です。ここで初めてパウロはキリスト教に対する迫害者として登場します。パウロは熱心なユダヤ教徒だったので、律法をないがしろにし、自分がメシヤだと語るイエスを許すことができませんでした。さらに、そのイエスが十字架にかかり、死んだのち3日目に復活されたなどと言うことを弟子たちが言いふらしていることも許せなかったのです。

そこでパウロは大祭司の許可を得て「この道」に従う者を縛り上げ、エルサレムに連行するためダマスコに行きました。その時、有名な使徒言行録9章にあるダマスコ途上の出来事が起こるのです。突然の光とともに「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という声を聴き、その声が自分の迫害しているイエスだという事を知らされ、聖霊に満たされて回心するのです。

パウロは初めサウロと呼ばれていましたが、使徒言行録13章からパウロと呼ばれるようになります。パウロの姓については判りませんが、ユダヤ人としてのヘブライ語の名前がサウロであり、ギリシャ語の名前がパウロだったのです。何故名前が変わったのかというと、「名は体を表す」ということわざがあるようにこの時からパウロの使命が明確になったことを表しているのです。

当時のキリスト教にはユダヤ教の影響が強く残っていました。ですから、ユダヤ人の救いというものはあり得るけれど、異邦人が救いに与るためには、異邦人のままでは救われないと思われていました。

ユダヤ人のように律法を守り、割礼を受け、ユダヤ人にならなければ救われないと思われていたのです。しかし、パウロは「そうではなく、ユダヤ人はユダヤ人のまま、異邦人は異邦人のまま救われるのだ」つまり民族や律法の行い、宗教的行為によって救われるのではないということを主張したのです。

ユダヤ的価値観を持つエルサレムの使徒たちはユダヤ人に、そして、パウロは異邦人に伝道していく、これが神の計画だったのです。だからパウロはサウロというユダヤ名からパウロというギリシャ名に変わったのです。

【執筆の動機】

パウロは今まで自分が頼りにし、誇りとしていた律法が、イエス・キリストの前で根底から崩され、ただ私たちの救いが神の一方的な哀れみによることを伝えたいという強い思いを与えられます。

様々な困難に合いながら、ユダヤから小アジアそして、マケドニアにまで伝道に行きました。そして、この時期、パウロはさらに伝道の場を広げようとしていきます。それは、自分の意思ではなく、神の計画であり、キリスト・イエスの僕としての使命です。そこはローマ帝国の一番西、当時の世界観からすると世界のはずれにあるスペインでした。

そのためにローマ帝国の首都であるローマの教会にも行き、交わりを深め、スペイン伝道のための拠点にしたいと考えていたのです。そして、同時に、ローマ教会の一部の人々が持っていた律法主義的信仰への批判ということもあったのではないかと思います。

また、以前はキリスト教への迫害者であったわけですから、まだその事を疑っている人もいたかもしれません。いろいろな理由が考えられますが、パウロは自分自身の経験からも、イエス・キリストの福音は律法や行ないによるものではなく、「信仰のみ」という福音の本質を伝えるために、この手紙を書き記した。ということがいちばん大切なポイントではないかと思っています。

【パウロの思い】

パウロは自己紹介の中で何の肩書も書いていません。ユダヤ人クリスチャンがいるのですから、経歴を書くことによって説得力が増しそうですが、自分はただ福音を伝えるキリスト・イエスの僕でしかないと自己紹介しているのです。

ここで僕とは奴隷と同じような意味を持つ言葉で書かれています。パウロは復活のイエスに出会う前は罪の奴隷でした。しかし、イエスに出会うことによって罪から解放され自由の身となりました。そしてもう二度と罪の奴隷に戻りたくないと語っているのです(ガラテヤ5:1)。

ここでパウロが考える罪とは、神の哀れみによって救われるのではなく「人の行ない」つまり律法の厳守や人からの評価によって救いを手に入れようとする考えなのです。そのような罪から、ただ「信仰」によってのみ救われることが大切なのです。

「信仰のみ」それは立派な経歴を持ち、純粋な血統と伝統のなかで育まれた、強く、堅く、揺るがないものではありません。私たちのなかには人に対して、いい人になりたい、かっこよく見せたいと、見栄を張りたい気持ちがあると思います。

少なくとも私の中にはそんな見栄があります。特に牧師として、いい牧師に見られたい、いいクリスチャンに見られたいと思うことがあります。なぜでしょうか。よく考えると、いい人、いいクリスチャンにならなければ、神に救ってもらえないような気がするのではないでしょうか。そこまでいかなくても、良い行いをすることによって、より多くの恵みや祝福が与えられると勘違いしていることがあるのではないかと思うのです。

そんな私たちに対してパウロは第二コリント12章9節で「わたしの恵みはあなたに十分である」と語っています。神が「あなたに十分与えている」と言われるのに「本当かな」と疑ってしまう弱さを持っているのです。

しかし、この弱さは信仰の弱さではなく、意思の弱さなのです。だからこそ信仰のみということが大切なのです。神が恵みとして与えてくださる信仰を強いとか、弱いと評価してはいけません。評価することによって、人を裁いたり、自分を神にするような罪を犯すのです。与えられている信仰を豊かに用いていくとき、罪の奴隷ではなく、キリスト・イエスの僕となれるのです。

讃 美   新生639 主の恵みに生きる
主の晩餐式
献 金   
頌 栄   新生674 父 み子 聖霊の
祝 祷  
後 奏