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「イエスの居場所」 ルカによる福音書2章1~7節
宣教者:富田愛世牧師
【イエスの誕生】
クリスマスおめでとうございます。こうして対面の礼拝であれ、動画配信の礼拝であれ、いずれにしてもご一緒にクリスマスの礼拝をお捧げすることが出来ることを嬉しく思います。
4年程前に「愛と狂瀾のメリークリスマス」という本が出版されました。副題がついていて「なぜ異教徒の祭典が日本化したのか」とありました。とても興味深い副題がついていたので買って読んだのですが、なるほどと思えるような内容でした。
日本ではクリスマスがドンチャン騒ぎをする日のように捉えられているという事に対して、いわゆる識者と呼ばれる人々が「キリスト教徒でもない日本人がなぜクリスマスにバカ騒ぎをするのか」と疑問を呈していますが、この現象はすでに明治時代から続いているという事でした。
さらにキリスト教徒なら、騒いでもいいのかというと、本来のクリスマスの意味からすれば、騒ぐという事自体がおかしなことであると語っているのです。
50年位前、私の父が札幌で開拓伝道をしていた時、クリスマスに一人のホステスさんが教会を訪ねてきたそうです。そして、教会にもクリスマスの飾り付けがされているのを見て「教会でもクリスマスをするのですね」と言ったそうです。彼女にとってのクリスマスはキャバレーで、ドンチャン騒ぎする日だったようです。当時も今も変わらず、クリスマスの意味を知らずに、ただ騒ぐだけの日として、その日を迎えていた人がいたようなのです。
今でこそ、そのようにクリスマスの意味を知らない人は少なくて、クリスマスがイエス・キリストの誕生日だということは、ほとんどの人が知っていることだと思います。しかし、クリスマスの主役であるイエス・キリストがどのような人なのか? ということはどうでしょうか。
キリスト教を作った人。昔のえらい人。十字架にかかって死んだ人。いろいろあると思いますが、実は意外と知られていないような気がします。教会の中ではイエス・キリストという呼び方が当然であるように思われていますが、世間に出て行くと、英語読みの「ジーザス」という名前の方が、若い世代にとってはポピュラーだったりします。
しかし、イエス・キリストやジーザスという名前は知っていても、どんな人なのかは知らないという人が、あまりにも多いという事実を私たちは真剣に受け止め、さらに真実を伝えていかなければならないのではないかと思わされます。クリスマスという絶好のチャンスを用いない手はないと思います。
【歴史の中の人物】
さて、それでは、このイエス・キリストとは、どのような人なのかという事を、イエスの誕生の出来事の中から見てみましょう。
まず、その時代ですが、イエスが誕生した時代はローマ帝国の最盛期と言ってもよいくらいの時代でした。聖書には皇帝アウグストゥスが全世界の人口調査をしなさいという命令を下し、キリニウスという人がシリア州の総督をしている時にイエスは生れたと記されています。
皇帝アウグストゥスとは正確には、初代皇帝オクタヴィウスのことだそうです。パックス・ロマーナと呼ばれる、ローマ中心の平和的な秩序は、この時、その基礎が築かれたと言われています。しかし、現代の歴史研究者たちの研究によると、このオクタヴィウスの時代には全国的な住民登録は行われていなかったようです。それではルカは嘘を書いているのかというと、そういうことではありません。今から2千年前の出来事ですから、いろいろな記録も現代のように整えられているわけではありません。
ルカ福音書は紀元80~85年くらいに書かれたと言われています。80年前の出来事を正確に記していくというのは、今でも大変な労力を必要とすることです。それが今から2千年前に行われたとするならば、なおさら難しいことだと思いますし、その事実だけを抜き出して、ルカ福音書は正確ではない、間違っていると決め付けるのは愚かなことだと思います。
それよりも、もしかすると正確ではないかもしれないという、危険を冒してまでも、証明しようとしているルカの姿勢が大切なのではないでしょうか。ルカはイエスの誕生が事実であるということを訴えているのです。そして、ルカの伝えようとしているメッセージは、神は人間の歴史の中に共にいてくださるということ、まさしくインマヌエルの神なのだということです。
【ダビデの家系】
次にイエスの生まれた背景を見てみましょう。イエスの父ヨセフと母マリヤは住民登録をするために、故郷であるユダヤのベツレヘムに帰ってきました。
それはヨセフがダビデの家系の一人だったからです。ベツレヘムという町そのものは、決して有名な町ではなかったようです。今でこそイエスの生まれた町として、世界中の人々がその名前を知っていますが、当時の世界では、ある意味で忘れられた町と言ってもよかったかもしれません。
ルカ福音書には東方の博士たちは登場しませんが、マタイ福音書を見ると、東方の博士たちがメシアの誕生のしるしとなる星を見つけ、エルサレムにやってきました。そこでヘロデ王に面会し、メシア誕生の場所について尋ねますが、分かりませんでした。ヘロデ王は学者たちを集め、旧約聖書の預言書を調べさせたところ、ミカ書5章2節に書かれている言葉を見つけるのです。学者たちに調べさせなければ分からないような、多くの人々の目には留まらないような町だったのです。
しかし、そこでイエスは生れました。この小さな町はダビデの町だったからです。ダビデという人は昔のユダヤの王でした。ユダヤという国が王国として最盛期を迎えるのは、ダビデの次のソロモン王の時代ですが、その土台を作り、信仰的に勢いがあり、充実していたのはダビデ王の時代だったのです。その家系であるということは、今で言うならば『名門』の家系だったかもしれませんが、あまり社会的な意味はありませんでした。
それよりも、信仰的な事として、神に愛され、神から祝福を受けたダビデの子孫だということが大切だったのです。信仰的に復興するためには、ダビデの家系からのメシアが待ち望まれていたのです。
【飼い葉おけの中のイエス】
そして、最後に生まれた場所ですが、イエスが生れた時、彼らは客間に泊まることができませんでした。それではどこに泊まったのでしょうか。一般的には「馬小屋」とか「家畜小屋」と言われています。
しかし、ルカ福音書には「家畜小屋」という言葉は出てきませんし、マタイ福音書では「家」と記録されています。ただ、生まれたばかりのイエスは「飼い葉おけ」に寝かされたと記録されているので、飼い葉おけが置いてあるであろう家畜小屋と考えられたようです。
飼い葉おけに寝かされたという記事を読む時に、貧しさばかりが目立ってしまいますが、それはマタイ福音書において、東方の博士たちが宝を捧げるという、きらびやかな出来事と対照的に捉えるので、貧しさが目立つのですが、実際には、当時のユダヤは全般的に貧しかったのです。
日本に当てはめるなら、戦後の何もない時に貧しかったというのと、現代社会のように、物が溢れている中で貧しいというのでは、その内容はぜんぜん違います。イエスの貧しさは、みんな貧しい中での貧しさだったのです。
この飼い葉おけに寝かされるということも、今の私たちの生活環境からすると、考えられないような不衛生なところでの出産に見えますが、当時の庶民の間では当たり前の出来事だったようです。人口の数%の金持ちは、個室のある家に住んでいたでしょうが、大部分は一部屋しかない家に大家族で住み、家畜も夜になると家の中に入れるというのが一般的だったという説もあるのです。
つまり何が言いたいかというと、イエスは特別貧しく、今の私たちとは違うということではなく、当たり前に貧しく、当時の人々と何ら変わりがなかったということです。わざわざ貧しい人を探したり、貧しくなったりするのではなく、今あるままの姿と場所がイエスのおられる場所なのです。
今日のタイトルは「イエスの居場」としました。イエスの居場所は、王宮でもなく、神殿でもなく、飼い葉おけの置いてある場所でした。一般的に人が住む場所とは言えませんが、住めない場所ではなく、最下層の人々にとっては、雨風をしのげる普通の場所だったのです。
イエスの誕生は普通の出来事の中で起こったことであり、関係のないことではないばかりか、反対に神が私たちとの関係を持つために、この地上に降りてきてくださった出来事なのです。
讃 美 新生180 イエスがこころに 献 金 頌 栄 新生668 みさかえあれ 祝 祷 後 奏