前 奏
招 詞   コリントの信徒への手紙一12章4~11節
讃 美   新生  3 あがめまつれ うるわしき主
開会の祈り
讃 美   新生125 造られしものよ
主の祈り
讃 美   新生339 教会の基
聖 書   出エジプト記6章28~7章7節
                     (新共同訳聖書 旧約P103)
宣 教   「それぞれの役割」    宣教者:富田愛世牧師
【モーセの生い立ち】
 今日は「それぞれの役割」というタイトルを付けましたが、教会備え付けとして使っている新共同訳聖書では6章28節からの箇所には「アロンの役割」という小見出しが付けられています。
 出エジプトという大きな業はモーセひとりで行う事の出来るものではありませんでした。その兄であるアロンも大きな役割を果たし、今日の箇所には出てきませんが、その姉であるミリアムの働きも大きなものとして記録に残さなければならないものだったのです。そのような中で、モーセが用いられているわけですから、もう一度、モーセの生い立ちから見てみたいと思います。
 出エジプト記1章22節を見ると、そこには「モーセの生い立ち」という小見出しが付けられ、モーセの生い立ちが記録されています。ただし、それを理解するためには、その背景として1章の初めから見ていかなければなりません。前回お話したように、世界的な飢饉がカナンの地に住むイスラエルの民にも襲い掛かりました。そして、イスラエルの民は食料を確保するため、エジプトへ行きました。その時、エジプトの行政すべてを任されていたのが、ヤコブの息子であるヨセフでした。ヨセフの計らいによってイスラエルの民はエジプトに住むようになったのです。
 ところが、年月が経ちヨセフの事を知らない王の時代になり、イスラエルの民が増え過ぎたことに危機感を抱いたエジプトの王がイスラエルの民を奴隷として苦役に就かせるようになりました。しかし、一向にその数が減らないので、ヘブライ人に子どもが生まれたなら、男の子の場合は殺すようにという命令を下しました。
 ちょうどモーセが生まれた時の出来事だったのです。モーセの両親は三か月の間、隠していましたが、隠しきれなくなり川に流すのですが、それをファラオの娘が見つけ、我が子として育てるのです。つまり、モーセは王族の一人として王宮で育てられるのです。
 モーセが成長したある時、ヘブライ人がエジプト人から暴力を受けるのを見、そのエジプト人を殺してしまったのです。そのことが明るみに出ることを恐れたモーセはミデアンに逃れ、そこで結婚し、羊を飼う生活を始めたのです。
【リーダーの資質】
 前回お話したように、モーセという人物は、自分の正義を絶対化することによって、大きな失敗を犯し、逃亡生活をおくっていたのです。そんな者を神はリーダーとして選んだのです。
 そのようなモーセにリーダーとしての資質があったのでしょうか。と考える以前に、リーダーとしての資質とは、どのようなものなのでしょうか。これは時代と共に変化していくもので、その時代時代に適応した「リーダーシップ論」が出てきていると言われています。
 しかし、時代という、時間の流れだけではなく、その時代における社会の成熟度合いによっても変化していくのではないかと思います。
 古代まで遡ると何が真実なのか分からなくなるので、近代のリーダーたちを見るなら、多くの場合、人々の規範となって、方向性を示すというタイプが多かったと思うのです。悪名高き「ヒトラー」という独裁者がいましたが、あの時代のドイツにおいて、彼の言動は人々の規範となっていました。そして、明確にドイツ至上主義を掲げて国の方向性を明確にしたわけです。
 少しうがった見方ですが、言葉巧みに人々をたらしこんで、「俺について来い」と威勢のいいことを言って、というタイプが過去におけるリーダー像のような気がします。それに対して、モーセはどうだったのでしょうか。王宮で育ったわけですから、もしかすると「帝王学」を学んでいたかもしれません。また、宮廷に顔が利いたかもしれません。
 しかし、聖書はそんなことには全くふれていません。聖書が記しているモーセの姿は、仲間であるヘブライ人を守るためにエジプト人を殺してしまうような、衝動的で浅はか、自分の正義を絶対化してしまう愚かさが目立ちます。その後も、自分の罪を認めるどころか、問題から逃げているのです。
 先ほど読んでいただいた6章30節には「わたしは唇に割礼のない者です」と語っています。つまり口下手だと言っているのです。常識的に見るならば、そして、人々からの評価、評判という点から見たとしても、決してリーダーにふさわしい器ではなかったと思うのです。
【主の備え】
 しかし、神はモーセを選びました。無責任に「ダレにしようかな」みたいな感じで、無作為に選んだわけではありません。誰でもよかったのではなく、モーセだったのです。なぜなのか。それは神にしか分からないことだと思います。ただ、前回も言ったように失敗して、逃げているという事から、痛みをかかえていた、つまり、痛みの分かる人であったという事は間違いないと思うのです。
 さらに神が誰かを選ぶ時、その人に任せっきりにはしません。最近、様々な場面で取り上げられる聖書の言葉に「神は耐えられない試練は与えない」というものがあります。正確にはコリントの信徒への手紙一10章13節の言葉で「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」とあります。
 試練と共に逃れる道をも備えてくださるというのです。同じようにモーセを選んだからには、モーセの欠けた部分を補う用意もしているのです。それがアロンの存在でした。7章2節に「わたしが命じるすべてのことをあなたが語れば、あなたの兄アロンが、イスラエルの人々を国から去らせるよう、ファラオに語るであろう。」とあります。
 神は、御自身の計画をモーセに語られ、モーセはそれをアロンに伝え、アロンがファラオに、さらに実際的な場面になれば、民に向かってアロンの口を通して語られるという事なのです。
 だったら、初めからアロンを立てれば良かったと思うかも知れません。しかし、ここに隠された神の計画があるのです。それがどのようなものなのかは、私たちには示されていませんから分かりません。
 ただ、出エジプト記を読み進んでいくと、モーセが神の山から帰ってくるのが遅くなった時、不安になった民がアロンに向かって「我々に先立って進む神々を造ってください」と頼みました。それに対してアロンは金の装飾品を集め、金の子牛を造りました。いわゆる偶像を造ってしまい、神の怒りを招いているのです。人々の目にはリーダーらしく見えても、アロンには務まらなかったのです。
 聖書の中に登場する、多くのリーダーたちが人の常識、秩序に反する仕方で選ばれている事を見る時、価値観の逆転する中に神の計画があることを感じるのです。
【それぞれの役割】
 つまり、神は目的を持って、一人ひとりの人間を創られたという事なのです。創られた目的があるという事は、一人ひとりに役割が与えられているという事なのです。
 それは、私たちの判断や評価ではなく、神から託された役割なのです。モーセに与えられた役割は出エジプトという大きな業を成し遂げさせるためのリーダーという事でした。そして、モーセの兄であるアロンに与えられた役割は、リーダーとして立てられている弟であるモーセを助けること、具体的には、その口となって神の言葉を人々に伝えることでした。
 そして、ここにはもう一人、神から役割を与えられた人がいるのです。それはエジプトの王であるファラオでした。話の流れからすると、ファラオは神の計画を阻止しようとしているようにも見えますし、敬虔なクリスチャンから見るなら、神に従わないファラオには、神からの役割など与えられるはずがないと思われるかもしれません。
 ところが、このファラオにも役割が与えられているのです。神は逆説的な方法を用いてファラオに役割を与えました。それは、ファラオの心をかたくなにするという事だったのです。
 イスラエルの民がエジプトを出ていきたいと願い出たことは、ファラオにとって都合のよかったことかもしれません。イスラエルの民が増えたことに危機感を持っていたのですから。ただ、奴隷として働かせていたイスラエルの民ですから、その労働力がなくなってしまうという事を考えるなら、留まらせることを選択したのかもしれません。
 いずれにしても、イスラエルの民が出ていくことを良しとせず、その邪魔をしました。しかし、それによって様々なしるしや奇跡が起こるのです。そして、それらのしるしや奇跡は、イスラエルの民やエジプト人だけでなく、周辺諸国の民にまで知らされるようになるのです。
 そのことによってイスラエルの神の名が周辺諸国にまで知れ渡り、周辺諸国の民はイスラエルの神に対する畏敬の念を抱くようになるのです。

祈 り
讃 美   新生544 ああ嬉しわが身も
献 金
頌 栄   新生668 みさかえあれ(A)
祝 祷  
後 奏