前 奏
招 詞 マタイによる福音書1章23節
賛美歌 新生 1 聖なる 聖なる 聖なるかな
開会の祈り
賛美歌 新生 61 さわやかな朝となり
主の祈り
賛美歌 新生290 主の祈り
聖 書 創世記31章1~3節
(新共同訳聖書 旧約P51)
宣 教 「共にいる」 宣教者:富田愛世牧師
【ヤコブとラバンの物語】
前回は創世記28章からヤコブが双子の兄であるエサウの怒りから逃げ、妻リベカの故郷であるハランに向けて旅立つところを読みました。今朝は31章を読みましたが、ここに至る出来事を簡単に説明したいと思います。
29章から31章までは、母リベカの兄であるラバンのもとに滞在していたヤコブの物語が記録されています。このヤコブとラバンの物語は25章から36章まで続くヤコブ物語の重要な一部分を占めています。
29章でヤコブは叔父ラバンの元に身を寄せるため、ハランに向かいました。ある場所に来ると、家畜に水を飲ませるため井戸の周りに水を汲みに来ている人々がいました。彼らに尋ねたところ、そこはハランの地だったのです。
しばらくするとラバンの娘でラケルという女性が、父の羊の群れに水を飲ませるためにやってきたのです。ヤコブはすぐに井戸の口をふさいでいた石を取り除け、ラケルの連れてきたラバンの羊の群れに水を飲ませ、ラケルに対しては「口づけし、声をあげて泣いた」と29章11節に記録されています。きっと長い旅の中で孤独に耐えていたその糸が、親族の娘に出会うことが出来たという安心感によって、一気に切れてしまい、心の高ぶりを抑えることが出来なかったのだと思います。
そのままラバンの家に行くと、ラバンもヤコブの事を心から歓迎しました。それから一か月ほど経った時、ラバンがヤコブの働きに対して、何か報酬を払おうと提案するのです。その提案に対してヤコブはラケルを妻として迎えたいと願うのです。そして、そのために7年間ラバンのもとで働きますという約束をするのです。
7年というと長いような気がしますが、ヤコブはラケルを愛していたので、7年間が、ほんの数日のように思われたと書かれています。そして7年が経った時ラケルとの婚宴の祝宴が開かれました。ところがラバンはラケルの姉でレアという女性をヤコブの妻としたのです。
ヤコブはラバンに騙されレアと結婚しましたが、ラケルの事を諦めることが出来ず、ラバンに申し出るとラバンはラケルと結婚したければ、もう7年ここで働くように条件を出すのです。ヤコブはラケルを愛していたので、さらに7年間働く約束をしてラケルと結婚しました。
【ヤコブの受けた祝福】
創世記29章にここまでの事が記録されていて、その後30章にはレアとラケルによってヤコブに子どもが与えられる経緯が記録されています。
私たちは勝手なイメージで聖書に書かれている事柄は、正しく、公平なことだけだと思い込んでいます。しかし、実際に書かれていることは、美しい理想論ではなく、身近な生活から出てきたような事ばかりなのです。
ヤコブにはレアとラケルという二人の妻がいましたが、ヤコブは妹のラケルの方を愛していたのです。姉のレアは疎んじられていたのです。29章31節を見ると「主は、レアが疎んじられているのを見て彼女の胎を開かれた」と記録されています。
当時の女性にとって結婚して子どもを産むということは、非常に大切なことでした。それが良き妻としての評価基準だったのです。ですから、神はレアのために子どもを与えられたのです。レアはヤコブとの間に六人の子を産みました。
一方ラケルには子どもが出来なかったので、ラケルは自分に仕える奴隷のビルハをヤコブの側室にして二人の子どもをもうけるのです。それを見たレアも自分の奴隷であるジルパによって二人の子をもうけました。そして、この一連の出来事の締めくくりとして、ラケルにも子どもが与えられ、この時点でヤコブには男の子が11人与えられるのです。
当時の考えによるならば、このように子どもが与えられ、子孫が繁栄していくことが祝福として捉えられていたのです。さらにヤコブに対する神からの祝福は、家畜を殖やすという形でも表されていました。
続けて創世記30章25節でヤコブはラバンに対して、独り立ちして故郷に帰りたいと申し出るのです。それに対してラバンは、もう少しここにいて欲しい、何故なら自分の家畜が増えたのはヤコブが神からの祝福を受けているからだと語っています。
家族や家畜が増えるということ、つまり、財産が増えるということが祝福の結果として捉えられるのですが、それで平安や喜びが増えるのかというと、そうでもないようなのです。財産が増えることによって、ラバンの態度が少しづつ変わっていくのです。
【ヤコブの帰還】
31章1節を見ると財産が増え、子孫繁栄が約束されたようなヤコブに対して、ラバンの息子たちは妬みの感情を抱くようになるのです。そして、それはラバンの息子たちだけでなく、ラバン本人の態度にも表れていたようなのです。
祝福を受けるということは、喜びの出来事だと、私たちは思っています。しかし、ここでヤコブは祝福として、たくさんの財産が与えられるのですが、そのことによってラバンの息子たちから妬まれ、ラバンからも快く思われないようになるのです。
祝福を受けることによって、人から妬まれ、憎まれるようになるという事なのでしょうか。ヤコブの人生を振り返るなら、父イサクの祝福を横取りしたことによって、兄エサウから憎まれるようになりました。もしかすると祝福とは、必ずしも喜ばしい出来事ではないのかもしれません。
そのような時、神の言葉がヤコブに臨み、故郷へ帰るように命じました。何時、どのような形で神の言葉がヤコブに臨んだのでしょうか。この先を読み進めると11節に「そのとき、夢の中で神の御使いが『ヤコブよ』と言われたので『はい』と答えると」と書かれています。
つまり、ラバンの息子たちの言葉を耳にする前に、夢の中で、神の御使いによって、故郷への帰還が命じられていたのです。この言葉に従いヤコブは故郷への帰還を決意しますが、それはラバンにとって都合の良いことではなかったようです。
ヤコブはレアとラケルという二人の妻と家畜の群れを連れて、故郷のカナンへと出発しました。その日から三日後に、ヤコブ一家がカナンへと出発したことがラバンに知らされました。1節でラバンの息子たちはヤコブが父の財産を奪ったと難くせをつけていますが、いざヤコブがラバンの元から逃げたことが分かると後を追うという矛盾した態度に出ているのです。
【騙し合い】
ヤコブと叔父のラバンはある意味でお互いに騙しあいをしているように感じます。しかし、どちらも神の言葉に従っているという一面も持っているのです。
ラバンにとってヤコブの存在は、自分よりも畜産業という分野において、有能な能力の持ち主で、疎ましい面もありましたが、頼りがいのある相棒でもあったのです。そして、何より30章27節にあるように、ヤコブのお蔭で、主から祝福をいただいていることを知っていたのです。
ですからラバンがヤコブを手放したくないという気持ちの中には、神からの祝福を手放したくないという思いが強かったのではないでしょうか。そのためには「嘘も方便」というように騙すこともいとわなかったのではないでしょうか。
また、ヤコブにしても長子の権利を騙し取ったことから様々な事柄が始まっていますが、それは母リベカが主の御心を尋ねたことが始まりです。その時、神は「兄が弟に仕えるようになる」と語ったのです。つまり、兄と弟の立場が逆転するという事なのです。
そして、兄エサウから逃げるため叔父ラバンの住むハランに旅立ち、ラバンのもとで二人の妻を得、さらにたくさんの財産を手に入れることが出来ました。この財産を手に入れる方法は30章37節以下に書かれていますが、31章10節以下にも繰り返して書かれています。そこに明確に書かれていることは、夢の中に現れた神の指示に従ったという事なのです。
さらに神の言葉は故郷へ帰るようにと指示しているのです。ラバンとしては、ヤコブに出て行ってほしくなかったけれど、ヤコブは神の言葉によって、故郷のカナンへ帰ることにしました。この時もヤコブはラバンを騙すように、こっそりと逃げましたが、それも神の言葉に従ったということだったのです。
ヤコブの行動は、表面的には狡さと映るような事もありますが、その根拠は神の言葉なのです。このように神に従うということは、表面的には人から評価されないばかりか、誤解されるような事も多々あるのです。そして、ヤコブの生涯を見ていくならば、この覚悟がなければ従いぬくことは難しいのかもしれません。
祈 り
賛美歌 新生537 重い荷をにない
主の晩餐
献 金
頌 栄 新生672 ものみなたたえよ(B)
祝 祷
後 奏
2024年8月4日 主日礼拝
投稿日 : 2024年8月4日 |
カテゴリー : 礼拝メッセージ -説教ー