聖書 マタイ 1:23  宣教題 神は、我らと共に  説教者 中田義直

2000年前、ユダヤのベツレヘムの馬小屋でイエス・キリストが誕生しました。この誕生は私たちの歴史を動かす大きな出来事の始まりでした。それは、私たちが広く用いている西暦という暦のスタートがこの誕生を起点とすることにも現れています。そして、その誕生はとても不思議な誕生でした。イエスの母マリアは聖霊によってイエスをみごもったのです。それは、2000年前の人々にとっても、受け入れがたい不思議な出来事でした。ですから、イエスはマリアの不貞による不義の子という噂が彼らの生活していた村の中では語られていたようです。マリアの許嫁であったヨセフにとっても自分の身に覚えのないこの出来事はとても受け入れることのできないことだったでしょう。聖書の記事は本当に短いものですが、そこにも、ヨセフの苦悩がにじみ出ています。そこには、戸惑いがあったでしょう。愛し、信じていた人から裏切られたという悲しみ、憤りがあったことでしょう。そして、ことがおおやけになれば、マリアは不貞をしたということで律法の定めに従って、石打によって死刑とされるのです。

ヨセフはこの出来事を前にして、悩み、苦しみました。もし、ヨセフの心が悲しみや憤りに支配されていたならば、彼は事をおおやけにしたことでしょう。しかし、彼は事をおおやけにせず、密かにマリアと離縁しようと決意しました。「許嫁」という関係がなければ、マリアは石打にされることはありません。ヨセフの心は悲しみ、憤り、戸惑いだけに支配されていたのではないようです。マリアに対する「愛」や憐れみの心が彼の心の中には残っていたのでしょう。

ところが、離縁を決意したヨセフに、神の使いが現れ語りかけたのです。神の使いは「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」と語りました。そして、彼は神の言葉に従い、マリアを迎え入れました。それは、神を信じるということだけでなく、マリアを信じ、マリアと共に生きるという決意をするということでした。マリアの抱いている恐れ、不安、戸惑いを共に背負うということです。そして、それはヨセフ自身にとっても自分の抱いている、恐れや不安をマリアと分かち合うことでした。共に歩む人が与えられるとき、私たちは不安や恐れ、苦しみを分けあい、それらを軽くすることができるでしょう。そして、共に歩む人が与えられ、喜びをわかちあうことができるなら、その喜びはより深いものになるでしょう。

ヨセフは不安や憤り、絶望を超えてマリアと共に歩む決意をしました。そして、それは神が共にあり、共に歩んでくださることを知ることができたからではないでしょうか。神様が共に歩んでいてくださるということを示している「あしあと」という、詩があります。これはクリスチャンの間では大変良く知られている「詩」です。この詩を多くのクリスチャンが共感を持って受け止めているのは、この詩に示されていることを人生の中で経験しているからなのです。「あしあと」の詩を紹介いたしましょう。

あしあと  マーガレット・F・パワーズ

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

わたしと語り合ってくださると約束されました。

それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

ひとりのあしあとしかなかったのです。

いちばんあなたを必要としたときに、

あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

ましてや、苦しみや試みの時に。

あしあとがひとつだったとき、

わたしはあなたを背負って歩いていた。」

 

-祈り-

主なる神様、あなたの御子イエス・キリストの降誕を覚え、心から感謝いたします。

主よ、あなたは共に歩んでいてくださることを御子イエス様を通して私たちに教えてくださいました。私たちの人生には喜びの時があり、苦難の時、悲しみの時があります。背負いきれないような重荷を感じるとき、主よ、あなたが共に歩んでいてくださることを思い出すことができますように。そして、苦しみと悩みの中にあるものの友となって歩むことができますように。泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶことができる心を私たちにお与えください。

この祈りと願い、クリスマスの喜びと感謝と共に、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

ー聖書ー
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。