互いに呼び集められた者として 牧師 中田義直
わたしたちは、教会は人によってなったものではなく、神によってなったものと信じます。 (「教会の約束」より)
聖書で「教会」と訳されているのはギリシャ語のエクレシアという言葉です。エクレシアというのは「呼び集める」という意味の言葉です。古代ギリシャでは、町や村で大切なことを決めるとき、議題と集まる場所と時間を告知して話し合いをしました。性格的には政治的な集会ですが、何よりもその特徴は、告知して人々を呼び集めるというところにあります。
ヘブル語の聖書がギリシャ語に訳されるとき、宗教的な集会をあらわすカーハールの訳語として、エクレシアがあてられました。その背景には、「私たちは、神によって呼び集められた」という自己理解があったのではないでしょうか。また、聖書は信仰について、一人一人の信仰という個人的な面を重視すると共に、信じた者たちの共同体を大切にしています。なぜなら、「創世記」に記されている人間の創造の箇所で、神様は「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」とおっしゃているように、私たちは不完全な存在であり、助けあう関係が大切だからです。
聖書の示す信仰は論理や観念ではなく、信じて生きるという「生き方」です。自らの不完全さを受け入れ、互いに神様に呼び集められた者として祈りあい、助け合いながら、神様を信じて日々歩んでまいりましょう。