聖書 マタイ 14:1~12 宣教題 人間の罪 説教者 中田義直
聖書にはなぜ、このようなことが書かれているのだろかと不思議に思うような残酷な出来事や血なまぐさい出来事が記されています。しかし、そのような出来事は歴史の中にたびたび登場しますし、現代においても同様な悲劇が繰り返されています。それは、人間の中に潜んでいる暗闇の部分があらわにされる出来事といってもよいでしょう。今日の聖書個所にもそのような人間の心に潜んでいる闇の部分が表れています。
今日の聖書個所には、ユダヤの領主ヘロデによってバプテスマのヨハネが殺害されたときの出来事が記されています。ヘロデは自分の兄弟フィリポの妻、ヘロディアと結婚したことを律法に反すると言って批判したヨハネに怒りを覚え、彼を捕らえ投獄しました。そして、ヨハネのことを殺害したのですが、その時の出来事が記されているのです。
ヘロデ王はバプテスマのヨハネが正しい人であることを知っていました。マルコ福音書では、バプテスマのヨハネに対して強い殺意を抱いていたのは、ヘロデの妃、へロディアであったことが記されています。マルコ福音書の6章にこう記されています。「6:18 ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。6:19 そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。6:20 なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。」そして、ヘロデの誕生を祝う席でへロディアの娘が踊りを踊ってヘロデを喜ばせ、褒美に「バプテスマのヨハネの首を」といってヨハネを殺すように仕組んだのは、へロディアであったことをマルコは記しています。このような背景があったことは、マタイ福音書でも「14:9 王は心を痛めたが」とあるように、王は心を痛め、ヨハネを殺すことにためらいがあったことからもうかがい知ることができるでしょう。
そして、二つの福音書を比較してみると、マタイはマルコよりも厳しくヘロデ王の罪を指摘しているように思えます。なぜなら、ヘロデはヨハネを殺すことができる権限を持っていたからです。へロディアの策略があったとしても、ヘロデ自身がヨハネを殺す権力を行使したという事実は動かすことができないからです。そして、マタイはヘロデがバプテスマのヨハネに対する殺意を抱きながらも、民衆を恐れてヨハネに手をかけなかったと記しています。そして、ヨハネを殺害する決意をした時のヘロデの心境をマタイはこう記しています。
「14:9 王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、14:10 人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。」このように、ヘロデが「客の手前」へロディアの娘への誓いを退けなかったということは、マルコ福音書とも共通しています。そして、マタイ福音書はヘロデ王がヨハネを殺さなかったのも、殺したのも、人の目を気にしたことがその理由であるということをはっきりと示しているといえるでしょう。
ヘロデは自分の行為、へロディアとの結婚が律法に反することだと知っていました。しかし、そのことを指摘したのはバプテスマのヨハネだけでした。ヘロデ王のもとには、王宮に仕える祭司や律法学者たちがいました。当然彼らもヘロデの行為が間違っていることを知っていました。しかし、誰もそのことをヨハネに告げる者はありませんでした。彼らは、もし、正しい言葉をヘロデに告げたなら、ヨハネのように捕らえられ、獄に入れられるということ。そして、命さえ奪われるということを王宮の祭司も、律法学者たちも知っていたのでしょう。彼らは、ヘロデ王の権力と、ヘロデがどのような性格の人物であるかということも、知っていました。祭司や律法学者たちは、何が正しく、正しくないかということではなく、自分の利益によって自分の行動を判断していました。
このバプテスマのヨハネの殺害の出来事には、人間の罪があらわにされています。そして、この罪から私たちも無縁ではいられません。私たちは日々の生活の中で多くの判断をしています。日々同じことを繰り返す中で、無意識のうちに判断していることもあれば、一生懸命に考えて判断することもあります。また、悩みに悩んで判断し、選択するということもあるでしょう。そして、その判断にはその人の価値観が深くかかわっています。また、その人の持っている地位や力もその判断に大きな影響を与えます。ヘロデは、律法に反することをしても咎められませんでした。彼の周りには、間違いを指摘する祭司も律法学者もいませんでした。それは、ヘロデに大きな力があったからです。そして、ヘロデは彼の間違いを指摘したバプテスマのヨハネを捕らえ、投獄しました。彼には、そうする力がありました。もし、ヘロデの手に権力が握られていなかったら、彼はバプテスマのヨハネをとらえることも、殺害することもできませんでした。そもそも、もし、ヘロデが王でなかったら、彼は律法を犯してヘロディアと結婚することもなかったでしょう。彼は権力者ゆえに、間違いを犯しました。
ところで、私たちはヘロデのことを自分とは無縁の残虐な権力者、ひどい人間だと思うかもしれません。しかし、もし、私たちの手に法を犯しても咎められない力や自分にとって不都合な、好ましくない人間を排除する力があるなら、それを使わずにおれるでしょうか。有名人や力のある人と知り合いだったなら、それを鼻にかけたりしないでしょうか。私たちはささやかなことでも、特別であることを自慢したくなってしまうような、そうすることによって自分の価値を高めたり、自分の価値を確認したくなってしまうのではないでしょうか。そして、それは人の目を気にして、物事を判断したヘロデとどれほど違うでしょうか。それは、人間の本質的な心の違いではなく、その手に権力を握っているか、いないか、それだけの違いではないでしょうか。私たちの心は特別扱いされるとか、特権といったものに本当に弱いのです。
ヘロデは、彼の手に握っている権力によって、王に対して「間違っている」と指摘する役目を持っている者たちの口を封じました。さらに、「間違っている」と指摘したバプテスマのヨハネを投獄し、その口を封じようとしました。そして、ヘロデ王は自分のプライドを守るために、ヨハネの首をはねさせたのです。
ヘロデは、イエス様のことを耳にした時、「バプテスマのヨハネが生き返ったのだ」と言いました。「14:1 そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、14:2 家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている」と記されています。このヘロデの言葉は、ヨハネを殺害したことを悔やみ、恐れ、心に平安のないまま過ごしている彼の心境をあらわしているように思えます。祭司や律法学者たちを黙らせ、ヨハネの命を奪ったヘロデの権力も、彼の心に平安をもたらすことができないのです。結局、彼は、自分の権力に振り回され、心の平安を失ってしまったのです。
もし、ヘロデが心に平安を取り戻す方法があるとするならば、それは、神様の前に自らの罪を告白することではないでしょうか。そして、罪びとをゆるすために十字架で死なれたイエス・キリストの福音を受け入れること、それが、彼の心が平安になる道なのです。初代教会の執事、ステファノの殺害に賛成した過去のあるパウロはこう記しました。「5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。5:7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」
神様はこのキリストにある救いにすべての人を招いておられます。パウロが招かれたように、ヘロデも招かれていたのです。けれども、ヘロデは神の招きよりも、人の目を恐れ、それによって過ちを深めていきました。
さて、私たちクリスチャンは、このキリストにある救いこそが、私たちの心に深い平安を与えてくれるということを信じることができました。罪深い私たちに与えられる、赦しと平安を知ることができました。この幸いと恵に心から感謝をささげつつ、新しい一週間を歩み始めてまいりましょう。
ー祈り-
主なる神様、あなたに呼び集められ、共に礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。
主よ、私たちの心は正しいことよりも自分の利益を求めてしまう弱い者です。無縁とは思っていても、権力や特権を得た時に私たちの心はヘロデのようになってしまうかもしれません。しかし、ヘロデの心に真の平安はありませんでした。私たちの心に平安を与えてくださるのは、十字架の贖い、神様の愛と赦しです。主よ、どうか私たちの心の目を開き、本当に大切なものを見失うことの無いようにしてください。
そして、あなたの福音を宣べ伝えることができますよう、お導きください。
この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン
ー聖書ー マタイによる福音書14章1節~12節
14:1 そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、14:2 家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」14:3 実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。14:4 ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。14:5 ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。14:6 ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。14:7 それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。14:8 すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。14:9 王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、14:10 人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。14:11 その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。14:12 それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。