聖書 Ⅱコリント 9:8~13   宣教題 心からの捧げもの   説教者 中田義直

 私たちの教会では、毎月第一日曜日に「主の晩餐式」を守っています。主の晩餐式は、イエス様が十字架につけられる前、弟子たちと共にした最後の晩餐を起源としています。この零点を通して私たちは、イエス様の十字架を思い起こします。そして、イエス様の死を通して与えられた「救い」を思い起こすのです。この主の晩餐を私たちは、一人ひとりに与えられた「救い」を思い起こすとともに、私たちの教会はイエス・キリストによって呼び集められた、主に在る共同体であることを確認します。

 イエス様は主の晩餐の時に弟子たちに告別の説教を語られましたが、そこで弟子たちに「互いに愛し合いなさい」という新しい掟を語られました。日本にキリスト教を伝えた宣教師たちは、聖書の言葉やキリスト教の教えを日本語に翻訳するときに悩み苦労しました。そして、最初の聖書の翻訳の時には、いま「愛」と訳されている言葉のは「大事」また「大切」という言葉が用いられました。愛するというのは、大切な存在とするということです。例えば、パウロはフィリピの手紙の中で「2:1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と記していますが、これは互いに愛し合いなさいということの一つの具体といえるでしょう。愛するということは、相手の価値を認めるということです。そして、自分と同じように他者を大切にするということです。

 コリントの手紙の中でパウロは、捧げものの勧めを記しています。これは、コリント教会の人々にエルサレム教会のための献金を捧げようという勧めです。エルサレム教会は、ペトロをはじめとするイエス様の弟子たちのいる教会です。使徒言行録に記されているように、ペンテコステの日にエルサレムでは多くの人がイエス様をキリスト、救い主と信じて救われました。その後教会は目覚ましい成長をしましたが、教会に対する迫害も厳しくなり、エルサレム教会の執事であったステファノがリンチによって殺害されたことをきっかけとしてその迫害は一気に勢いを増しました。そのため多くの弟子たちはエルサレムから散らされていきました。ユダヤ人たちとの厳しい緊張関係と、多くの弟子たちがエルサレムを逃れたことによってエルサレム教会は経済的に非常に困難な状況に陥ったのです。そのエルサレム教会を支えようとパウロは彼が伝道するなど関わりのある各地の異邦人教会に献金を募ったのです。12節に「9:12 なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです」とありますが、この「聖なる者たち」というのはエルサレム教会の人々、とりわけイエス様の直弟子たちを指しているのです。

 そして、パウロは「9:13 この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます」と記します。自分たちの教会だけでなく、自分たちを救いに導いてくれたエルサレム教会を支え、イエス様の弟子たちを支えるということによって、支えられる者も、支える者も共に主をたたえることになるのだ、とパウロは言うのです。それは、互いに互いを大切な存在として認め合うことであり、互いに愛し合うことだからです。自分のために他者から奪うのではなく、他者のために自分自身の持ち物を与え、受けた者は心からの感謝を支える関係を通して、イエス様の福音が証しされていくのです。

 なぜ、与えあうことによって主イエス様が証しされるのでしょう。それは、イエス様が私たちのためにすべてを与えてくださったからです。そして、私たちは主の晩餐式を通してその事実を確認します。「5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。5:9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです」(ロマ書5章)と記されているとおりです。

 私たちを積みから救うために、十分の十を捧げてくださった主に感謝し、私たちはこの喜びの知らせが告げ広められるように、そして、すべての人々が主の救いにあずかること祈り、願いつつ、心からの捧げものをもって主に使えてまいりましょう。

 

ー祈り-

 主なる神様、あなたに呼び集められ、共に礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。

 主よ、「9:9 彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」と書いてあるとおりです」と聖書にしるされているように、イエス様は私たちを罪から救うために、世に降り、惜しみなく分け与え、施し、慈しみを示してくださいました。

 主よ、あなたの救いに感謝いたします。そして、この救いを告げ広めるために心からの捧げものを御前に捧げます。主よ、私たちが他者から奪うのではなく、他者に与える者としてあなたのご栄光を証しすることができますよう、聖霊を豊かに注ぎ、お導きください。

  この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

ー聖書- コリントの信徒への手紙Ⅱ 9章8節~13節

9:8 神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。9:9 「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」と書いてあるとおりです。9:10 種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。9:11 あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。9:12 なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。9:13 この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。