聖書 マタイ 16:13~20    宣教題 神の子、メシア  説教者 中田義直

 

 クリスマスは、キリスト(クリストス)の祝祭(マス)という意味の言葉です。私たちクリスチャンは、二千年前にユダヤのベツレヘムで生まれ、30歳ころ1年から3年の間、人々の間で積極的に活動し、その後、十字架刑で殺されたイエスという人こそ、預言者たちによって預言されていた救世主、キリストだと信じています。

 今日の聖書の個所に記されているのは、イエスの弟子ペトロが、イエス様のことを「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白した出来事です。このメシアをギリシャ語で言うとキリストになります。ペトロは「あなたはキリスト、生ける神の子です」といったのです。ですから、このペトロの言葉こそキリスト教の起点となった「言葉」といっても良いでしょう。

 イエス様は弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになりました。それに対して弟子たちは「『バプテスマのヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます」と答えました。この答えには、当時イスラエルの人々がイエス様に対して大きな期待を抱いていたことが現れています。当時のイスラエルは、ローマ帝国に支配されていました。ファリサイ派やサドカイ派といった信仰熱心な人々もいましたが、その信仰の姿勢は形式的であったり、権威的になっていて多くの民衆は活き活きとした神の言葉に飢え乾いていました。預言者のいない時代、そう人々は思っていたのです。そして、人々はバプテスマのヨハネに大きな期待を寄せていました。大きな力を持っていたヘロデ王さえ恐れず、ヨハネは王の間違いを指摘しました。この人こそ、神から遣わされた預言者に違いないと人々は思いました。しかし、ヨハネはヘロデに捕らえられ、最後には残酷で理不尽な仕方によって殺されてしまいました。イエス様が公に活動を開始されたとき、人々はこの方はヨハネの生まれ変わりに違いない、いや、偉大な予言者エリヤかもしれない、いや、エレミヤの再来だと人々は思いました。

 当時のイスラエルの人々のイエス様に対する大きな期待が、バプテスマのヨハネだ、エリヤだ、いや、エレミヤだという言葉に表れているのです。しかし、それでもイエス様のことを救世主、メシアとは言いませんでした。このメシアとは「油を注がれたもの」という意味の言葉です。イスラエルで最初の王として神様に選ばれたサウルは、サムエルから頭に油を注がれて王となりました。つまり、油を注がれた者というのは、イスラエルの「王」であり、「王として神に選ばれた者」のことなのです。私たちは、「キリスト」というと神の子、信仰の対象、宗教的な存在として受け止めることが多いのではないでしょうか。しかし、当時イスラエルで「メシア」というのは政治的、また軍事的な指導者である「王」のことをあらわす言葉なのです。ですから、キリストの誕生を祝うために東方から来た占星術の学者たちはまず王宮をたずねました。そして、「新しい王が生まれたことを示す星を見た」というのです。そして、ヘロデ王は自分の地位を脅かす新しい王の誕生に危機感を抱きました。

 ペトロはイエス様のことを「あなたはメシアです」と告白しました。そして、「いける神の子」といいました。神の子といっていますが、ペトロをはじめ弟子たちがイメージしていたメシアの姿は、やはり政治的、軍事的な指導者の姿でもありました。聖書に「16:20 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた」と記されているのは、弟子たちの心の裡にあるメシアのイメージを見抜いておられたからでしょう。それは、この後、ご自身の十字架の死を予告されたイエス様とペテロとのやり取りに現れています。あなたたちが神様が遣わされたメシア、キリストの本当の姿と目的を知るまでこのことを秘密にしなさいとイエス様はおっしゃっているのではないでしょうか。

 イエス様は「あなたはメシア(キリスト)です」と告白したペトロにこう言われました。「16:17(略)シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。16:18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。16:19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」。この言葉には三つのことが示されています。第一に、イエス様をキリストと告白することは神様の導きによらなければならないということです。人間の知恵や、理論で私たちはイエス様がキリストであるという事実にたどり着くことはできません。だから、パウロも「聖霊によらなければ、だれもイエスを主と告白することはできない」としるしています。第二は、イエス様をキリストと信じる信仰の上に教会は立てられるということです。カトリックj教会ではイエス様がペトロを教会の土台とされたと理解していますが、プロテスタント教会の多くはペトロの「信仰告白」こそ土台であると理解しています。そして、第三はイエス様から教会に「天の国の鍵」が託されたということです。

 イエス様はご自身の十字架の死と復活を通して、私たちのために天のみ国に至る道を整えてくださいました。そして、永遠の命の恵みを私たちに与えてくださいました。人間の救いを完成し、私たちを神の子として天のみ国の民としてくださるために、イエス様は世に来られました。それこそが私たちに与えられた「福音」、喜びの知らせです。神の子、メシアはこの地上の勝利ではなく、人間にとって最も手ごわい敵である「死」を打ち破り、死は終わりでも滅びでもないことを示してくださいました。救いと恵み、そして、永遠の命の約束を携えてイエス様は私たちの世に来てくださったのです。

 「天のみ国の鍵」が託された教会の働き、それは、福音を伝えることです。天のみ国の鍵は開けられ、そこに招かれている喜びの知らせを伝えること、それが教会の働きです。もう、すでにイエス様によって天のみ国の門は開け放たれているからです。

ー祈り-

 主なる神様、今年最後の日、こうして公私て主の日の礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。

 主よ、あなたは私たちを罪から救い、神の子としてくださるために御子イエス様を人として世にお遣わし下さいました。イエス様は私たちに救いと恵みを与えてくださいました。永遠の命の恵み、それは、私たちの理解をはるかに超える大きな喜びです。しかし、私たちはこの世の事ごとに、そして、目の前のこと、自分のことにばかり思いが向かってしまい、本当に大切なものを見失ってしまうことがあります。しかし、あなたは憐れみをもって、私たちに聖霊を注ぎ、イエス様を私の救い主と気づかせ、主と告白する道を開いてくださいました。

 主よ、一年の導きに感謝いたします。そして、来る年も、この福音の証し人として歩む教会としてください。

  この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

 

ー聖書-  マタイによる福音書 16章13節~20節

16:13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。16:14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」16:15 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」16:16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。16:17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。16:18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。16:19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」16:20 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。