聖書 詩篇 133:1    宣教題 なんという恵み   説教者 中田義直

 新しい年の喜びを申し上げます。この一年が、良い年であるようにと心から願います。

 ところで、新しい年、と言いましても何かが大きく変わったわけではありません。しかし、一週間や一月、また一年や年度という区切りは私たちにとってとても大切なものだと思うのです。神様は安息日を設けてこれを守るようにと私たちに命じられました。それは、人間には休息が必要だということでしょう。そして、何よりもこの世の様々な事々を横に置いて、神様の前に立つこと、そして、自分自身を振り返るということが人間には必要なことなのではないでしょうか。先日、テレビでオーストラリアで行われた太陽電池で走るソーラーカーのレースを見ました。小さな車体で3200キロを走るという過酷なレースです。開発に取り組んでいる人たちは、企業の研究所の人もいれば大学で研究している人もいます。その中で日本のある大学から参加したチームは願っていた成績を残すことができませんでした。しかし、そのチームリーダの人がレースを振り返りながら話していた「反省はあるけれども、悔いはない」という言葉が心に残りました。短い言葉ですが、そこには精いっぱいできるだけのことを行ったという思いと、前を向いてさらに良い者を開発しよう、チャレンジしようという気持ちが伝わってきました。何かに一生懸命取り組むというのは素晴らしいことだなあと思いました。

 教会の歩みも、その歩みを振り返って反省しつつ、前に向かって歩んでいきたいと思うのです。2017年、私たちの加盟しています日本バプテスト連盟はスタートから70周年を迎えました。今年の4月から71年目の歩みを始めます。市川大野教会は、この地で伝道を始めてから4月で34年となります。84年スタートですから、世の中はバブル景気の時代でした。1979年にはアメリカの社会学者ヴォ―ゲルによって書かれた『Japan as Number One』という本が出版され、話題になりました。日本が自信と活気にあふれていた時代でした。そのような時代と現在では社会の中も大きく変わりました。それは、日本だけではありません。世界も大きく変わりました。1991年にはソビエト連邦が崩壊しました。共産主義の敗北と資本主義、そして、自由主義の勝利を多くの人が感じたことでしょう。アメリカとソ連という超大国による冷戦が終わり世界に戦争のない平和が訪れるだろうと期待した人もいたことでしょう。しかし、民族主義が台頭し今も紛争が続いています。そのような中、2001年9月11日のアメリカで起こった同時多発テロは世界中に大きな衝撃を与えました。そして、日本では東日本大震災が起きました。世界は動き、人間の引き起こした悲劇や自然の力に圧倒される経験などによって、私たちの社会は大きな変化をしてきました。そして、これからも変化し続けていくことでしょう。

 そのような中にあって、私たちキリスト者はイエス様の弟子ペトロが記した「1:21 あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。1:22 あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。1:23 あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。1:24 こう言われているからです。人は皆、草のようで、/その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、/花は散る。1:25 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」という言葉を大切にしたいと思うのです。

 変化するこの世界に生きているからこそ、変わらない「主の言葉」を大切にしたいのです。そして、教会の指導者だったヨハネの記した手紙にはこうあります。「2:7 愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。2:8 しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。2:9 「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。2:10 兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません」。ヨハネは、すでに聞いたことのある「掟」をあなたたちはもうそれは古くなったと言っているけれども、それは、決して古くなることの無いものであり、いつまでも「新しい掟」だと語りかけています。そして、それはイエス様が告別説教の中で語った「互いに愛し合いなさい」という掟を指しています。

 自分のことを大切にする、自分の家族を大切にする、そして自分の国や民族を大切にするということは大事なことでしょう。しかしそれが、自分だけ、自分の家族のことだけ、自分の国や民族のことだけとなってしまい他の人のことを大切にできなくなってしまったら、それは神様の御心に反することになってしまうでしょう。

 詩篇の詩人は「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」と賛美の言葉を記しています。ここで詩人は「兄弟が共に座っている」ということを素晴らしい恵み、大きな喜びと言っています。この「兄弟」はイスラエルの民族の仲間を指しています。しかし、イエス様は神様の愛は民族を超え、私と他人という隔てを超えて注がれていることを教えてくださいました。神にある兄弟姉妹が共に座ること、そこに恵みと喜びがあります。

 こうして、新しい年の最初の日、主にある兄弟姉妹と共に座り、共に礼拝をささげることの恵みと喜びを、今、私は深く感じています。そして、この兄弟姉妹の交わりが豊かに広められていくことを心から願うのです。

 

ー祈り-

 主なる神様、新しい年の最初の日、こうして共に礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。

 主よ、あなたは私たちに分け隔てなく愛を注いでくださいました。そして、全ての人をあなたの民として、招いてくださっています。そして、あなたにある兄弟姉妹と共にあることは本当に大きな恵みであり、喜びです。今、私たちをこの恵みと喜びのうちに招き入れてくださったことを覚え、心より感謝いたします。

 主よ、この新しい年の歩みを通して、この恵みと喜びの輪が広められていきますよう。分断と分裂に心を痛めることの多かった一年を振り返りつつ、この新しい年が和解と平和へと歩みを進めていく年となりますように心から願い、祈ります。

  この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

ー聖書-  詩篇133篇1節

133:1 【都に上る歌。ダビデの詩。】見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。