聖書 コロサイ 1:6    宣教題 キリストに結ばれて  説教者 中田義直

 

 主の晩餐式を通して、私たちは二つのことを確認します。第一は、イエス・キリストによって与えられた救いの恵みです。それは、人間の罪によって壊れてしまった神様との関係の回復です。主の晩餐のパンと杯を通して、私たちは「私の罪」を背負って十字架で血を流されたイエス様を思い起こします。主の晩餐の時、私たちは、誰のためでもない「私のため」にイエス様が贖いの死を遂げてくださったということを受け止めます。イエス様の贖いにより、私たちは神様との関係が回復し、神の民とされました。そして、神の民に与えられた恵みこそ、永遠の命です。たとえ、この地上の生涯が終わっても、命はその光を失うことなく輝き続けます。神の民とされるということは、神のみ国の民として生きるということです。それが、私たちに与えられた良い知らせ、福音です。

 もう一つ、主の晩餐を通して確認すること、それは、私たちキリストの体である教会につながる一人一人は、かけがえのないキリストの体の部分だということです。

 私たちは神の民とされていること、そして、キリストの体に連なっているということを主の晩餐を通して思い起こし、確認します。

 ところで、著名な方が亡くなるとテレビなど取り上げられますが、親しい方や葬儀に参列した方などがインタビューに答えて、「天国に行っても」ですとか「天国で待っていてくれる」と話していることがあります。そのような場面ですから、インタビュアーなども神妙な顔で受け止めていますが、時折本当にこの人たちは天国を信じているのだろうかと思うことがあります。しかし、そのような言葉がとても自然に使われているここもまた事実ではないでしょうか。宗教は死後の世界についてそれぞれとても具体的なイメージをもって語ります。その一方、宗教とは関係なくても人はどこかで肉体の死は命の終わりではないと感じているのではないでしょうか。そして、私たちクリスチャンは死は命の終わりではないと信じるだけではありません。それと共に命を造られた方に心を向けます。偶然生まれて、時が来れば終わるのではなく、私たちの命は神様が大切なものとしてつくり、与えらえれ、神様のご計画の中で「限られた時」をこの地上で過ごすのです。

 そして、私たちはこの地上での生活の中で、神様を信じ、神様を見上げながら歩みます。それは私の人生を神様と関係あるものと信じて生きるということです。イエス様は十字架の時を前にして弟子たちに語られた告別の説教の中で、ブドウの木に譬えてこう話されました。

 15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。15:2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。15:3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ福音書15章) キリストと共に歩む時、私たちには実りが与えられるのです。それは、時に目に見えるような仕方で、また時には心を鎮めて霊の目を澄ませるときに気づく実りもあるでしょう。

 イエス様が世に来られて教えてくださったこと、それは、神様はいつも私たちと共におられるということです。そして、イエス様が復活を通して教えてくださったこともまた、共にいてくださるという言ことです。復活のイエス様は世に帰るとき弟子たちに「28:18 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。28:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、28:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言われたのです。

 教会にとって、そして、私たちクリスチャンにとって大切なこと。それは、聖霊の導きによってキリストに結ばれ、神と共に歩むということです。そして、神に呼び集められた人々と共にキリストに結ばれて歩むことです。それが私たちの信仰であり、教会の命です。

 この新しい年も、キリストに結ばれて、神と共に、そして、兄弟姉妹と共に歩んでまいりましょう。

 

 

ー祈り-

 主なる神様、今年最初の主の日、こうして主の日の礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。

 主よ、あなたは私たちと共に歩んでくださいます。そして、あなたに結ばれて歩む私たちには、主にある実りが与えられます。あなたは、私たちの教会に恵みと祝福を与えてくださいます。私たちは今朝、主の晩餐を通して、あなたに結ばれていることを、そして、主にある兄弟姉妹と共にある喜びを確認いたします。そして、この年も、この喜びが広められていくことを願い、共に歩んでまいります。主よ、どうぞ聖霊を豊かに注いでください。そして、日々あなたが共にいてくださることを受け止めつつ、歩むことができますように。

  この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

 

ー聖書- コロサイの信徒への手紙1章6節

1:6 あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。