聖書 マタイ 17:1~13    宣教題 恐れることはない   説教者 中田義直

 

 イエス様は弟子たちに「御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている」と、ご自分が受けるべき苦難について話をされました。これは私たちに救いを与えるため、人間の罪によって壊れてしまった神様との関係を再び結ぶために必要なことでした。それが、神様のご計画であり、この救いの業のために神の御子イエス様は世に来られたのです。しかし、イエス様がエルサレムで長老、祭司長、律法学者たちから苦しみを受けて殺されてしまうということを弟子たちは受け入れることができませんでした。イエス様は「三日目に復活する」と言われましたが、復活など容易に信じることはできないでしょう。信じがたい復活よりも、死という現実が彼らの心にのしかかったことでしょう。

 この死と復活の予言の後、イエス様は十二使徒の中からパトロとヤコブ、そしてヨハネの三人を連れて高い山に登られました。この山がどこの山であったのか、はっきりと記されていません。しかし、高い山というのは神様の近いところを象徴している言葉なのです。また、イエス様は祈るときに山に登られました。受難の予告をなさったイエス様は弟子たちを伴い祈るために山に登られたのでしょう。そして、この山でイエス様の姿が変わるのです。聖書に「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」と記されています。これはイエス様が真の神であることを示す出来事と言えるでしょう。イエス様はすべてを照らす光、私たちの道を照らし、私たちを主なる神様のもとへと導く光だからです。そして、弟子たちは光り輝くイエス様がモーセとエリヤと語り合っているのを見るのです。なぜ、この二人がモーセとエリアだと分かったのか、顔を知っていたということはないでしょう。ですからこれは、彼らに霊的な啓示があったと考えられるのです。

 モーセとエリヤ、モーセは神様から律法を与えられました。そして、エリヤは多くの予言者を代表する預言者でした。モーセとエリヤが現れ、イエス様と共にいる、この出来事はイエス様が律法と予言を成就する方だということを示しています。

 この出来事を経験した弟子たちは驚き、このことをどのように理解してよいかわからなくなったことでしょう。そのような状況の中で、ペトロはきっと何かしなくてはいけないと思ったのでしょう。彼は口をはさんで「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」と言葉を発しました。ペトロが「仮小屋を建てましょう」といったのは、この時が仮庵の祭りの時期だったからではないかという説明されることがあります。仮庵の祭りというのは、出エジプトの出来事を覚える祭りです。エジプトを脱出したイスラエルの人々は40年間荒れ野で天幕(テント)の生活をしました。この出来事を思い起こすために、仮小屋、テントを立てて祭りを行ったのです。そのような祭りの時期だったから、思わずペトロは「仮小屋を建てましょう」と言ってしまったのかもしれません。また、エルサレム神殿が建てられるまで、イスラエルではテントが神殿として用いられていました。ダビデは自分が立派な王宮に住んでいるのに契約の箱が置かれた神殿がテントでは申し訳ないと思い、神殿の建築を願いましたが、神様はそれをダビデの時代には良しとされませんでした。そのような、歴史がありましたから急いで作ることのできる神殿のような気持ちで「お望みでしたら、仮小屋を建てましょう」とペトロは言ったのかもしれません。いずれにしましても、ペトロの思いは「ここにあなた方の場所をおつくりしましょう」という気持だったのではないでしょうか。素晴らしい方々がここにおられる。この方たちに私たちのところにずっといてほしい、ここにいてほしいという願いが現れているように思うのです。

 そして、聖書には続けてこう記されています。『17:5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。17:6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。

17:7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」』

 天から神様の声が響き、弟子たちは非常に恐れてひれ伏しました。そして、ひれ伏している弟子たちにイエス様は手を触れて「起きなさい。恐れることはない」と声をかけられました。創造主であり、威厳に満ちた神様は恐れるほかない方です。神様を恐れること、それは本当に大切なことなのです。しかし、神様は私たちを裁き、罰する為に創造したのではありません。神様は私たちを愛し、恵みを与え、神の民とするために私たちを創造してくださいました。

 ここでイエス様が三人の弟子たちに「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と言われ、そして、ご自分の道を整えるためにバプテスマのヨハネが世に来たことを話されました。これは、十字架の死と復活の時が迫っていることを示しています。そして、受難を前にしたこの「山上の変貌」と言われるイエス様の姿が変わった出来事は、イエス様が律法を完成させ、神様の言葉を実現するために世に来てくださったことをあらわしています。神様と共に生きること、それは、恐れながら生きることではありません。神の導きを信じ、永遠の命を与えてくださる神様の赦し、愛と恵みの中を歩むことなのです。そして、私たちは神様に「ここにいてください」と願いながら仮小屋を造る必要はないのです。なぜなら、神様はいつも私たちと共にいてくださるからです。イエス様を通して、神様は私たちに「あなたたちは私の民だ。私はあなた方と共にいる」という約束のメッセージを届けてくださったのですから。

 

 

ー祈り-

 主なる神様、こうして共に主の日の礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。

 主よ、あなたの御子イエス様はご自身の死と復活を通して、私たちにあなたの愛を教えてくださいました。そして、あなたはいつも私たちと共にいてくださいます。

 あなたは私たちのすべてをご存知です。良いことも、悪いことも、あなたの前に正しく生きている時も、あなたの喜ばない行いをしたり、あなたと隣人を悲しませてしまうような言葉を発してしまった時も、あなたは共にいてくださいます。そして、裁きと罰ではなく、愛をもって正しい道に私たちを導いてくださいます。

 恐れではなく、悔い改めと感謝の心と持ってあなたと共に歩む私たちでありますように。主よ、共にいてくださるあなたの導きを信じ、キリストの光のうちを歩ませてください。

  この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

 

ー聖書-  マタイによる福音書17章1節~13節

17:1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。17:2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。17:3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。17:4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」17:5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。17:6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。17:7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」17:8 彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。17:9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。17:10 彼らはイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。17:11 イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。17:12 言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」17:13 そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。