聖書 マタイ 17:24~27    宣教題 イエスの願い  説教者  中田義直

先週の日曜日は、イエス様の復活を祝うイースターでした。イエス様は十字架の死と復活を通して、私たちのための救いの計画を完成させてくださいました。イエス様は、すべての人々を救いに導くため、世に来てくださったのです。

今日の聖書の個所は、イエス様が十字架で殺されるおよそ一月ほど前の出来事です。カファルナウムはペトロの家のあった町ではないかと言われています。当時、ユダヤの人々は神殿税を納めなければなりませんでした。イエス様一行がカフェルナウムにきてペトロの家に滞在していたのでしょう。神殿税を徴収者たちがやってきて町の住民でもあるペトロに「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と問いました。神殿税は一年に一度納めるものだったようです。マタイ福音書はイエス様の公の活動を1年間のこととして記しています。ですから、公の活動を始めてあちこちを旅してまわっていたイエス様と弟子たちはまだ神殿税を納めていなかったのでしょう。もし、このまま納めないならば、そして、もし、イエス様が神殿税を納める必要がないなどといったならばそれは訴える口実にもなります。ペトロは彼らの問いに対して「納めます」と答えました。ペトロにとって神殿税を納めることは当然のことでした。ですから、訴える口実を与えないためにそう答えたというよりも、当然のこととして「納めます」と答えたのでしょう。

このようなやり取りをして家に帰ったペトロに、イエス様は「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか」と問いかけられました。そして、ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ」というやり取りが行われました。ここでイエス様は、ご自身が神の御子であることをペトロとはじめとする弟子たちにお示しになっているのです。そして、神様もまたご自分の御子には捧げ物を求めないでしょう。しかし、イエス様は「彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい」と言われました。ところでい、イエス様は様々な奇跡をなさいましたが奇跡をご自分の利益のために用いることはなさいませんでした。それは、荒れ野での試みの時に、サタンの誘惑に対してきっぱりと拒否をなさったことからもわかるでしょう。しかし、この魚と銀貨の奇跡は、お金のやり取りという面だけで見ればイエス様の利益になることともいえるでしょう。けれどもここで私たちには見落としてはならないことがあります。第一には、イエス様は税を取り立てに来た人々、つまりユダヤの役人や祭司たちをつまずかせないために税を納められたということです。

イエス様と祭司、律法学者、またファリサイ派の人々との間には厳しい緊張関係がありました。すでに彼らはイエス様のことを殺そうという計画を立て始めていました。しかし、イエス様はそのような対立と緊張関係の中にありながらも、彼らの救いを願っておられたのです。その思いは、イエス様の十字架上でのとりなしの祈りにもはっきりと表れています。ですから、この銀貨の奇跡もイエス様ご自身のためではなく、イエス様を陥れようとする人々のためであったということをここで確認したいと思うのです。

そして、何よりも忘れてはならないことは、すでにこの時、イエス様ご自身が私たちの罪を取り除くための捧げ物として歩んでおられていたということです。銀貨などよりもはるかに尊い価値のある捧げ物、人間の罪を取り除くための何よりも高価で尊い捧げものとしてイエス様はご自身を捧げようとしておられました。イエス様は弟子たちのためだけでなく、イエス様を殺そうと計画している者たちの救いのためにもご自身を捧げてくださったのです。

「しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」この不思議な出来事には、すべての人の救いを願うイエス様の御心が示されているのです。

 

ー祈り-

主なる神様、こうして共に主の日の礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。

主よ、あなたの御子イエス様は、全ての人を救う神の小羊として世に来てくださいました。そして、十字架と復活を通して救いを完成させてくださいました。この救いは全ての人を招いています。すべての人の救い、それがイエス様の願いです。

主よ、私たちもこのイエス様の願いに心を重ねることができますようにお導きください。今、私たちを悩ませたり、対立している人々のため祈ることは本当に私たちの力では難しいことです。ですから、すべての人のために祈り、とりなしていてくださるイエス様の思いと願いに心を重ねることができますよう、聖霊に導きをお与えください。

この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

―聖書ー マタイによる福音書17章24節~27節
17:24 一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。17:25 ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」17:26 ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。17:27 しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」