静聴の時、祈りの時 牧師 中田義直
「百聞は一見に如かず」という言葉があります。平たく言えば、百回話を聞くよりも一回見る方がよくわかる、ということでしょう。確かに言葉よりも画像を通して伝えられる情報量ははるかに多いのです。ですから、私は外出先などで面白い光景に遭遇した時、スマホを使って写真を撮ります。後でその光景を人に伝える時、言葉で説明するよりも写真を見てもらうほうがずっと簡単だからです。
「百聞は一見に如かず」それは、確かな事実でしょう。しかし、今の時代、素人にも簡単に写真の加工ができます。私のスマホのカメラには、肌がきめ細かに映るボタン、食べ物がおいしそうに見えるボタンなど、いくつものスイッチがついています。目に見えているものが、真実なのか加工された偽りなのか、その見分けがつきにくくなっているのです。
ところで、聖書には「 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)と記されています。謙虚に神の言葉に耳を傾けることを通して、私たちは真理に気づくことができる、そう聖書は語っているのではないでしょうか。
神様との対話である「祈り」の時、私たちは目を閉じ、心を静めます。祈りと静聴の時、私たちは自分の思いや考えをいったん横に置きます。そして、心を低くして、神様の語りかけておられる言葉を求めるのです。