前 奏
招 詞   イザヤ書43章1~2節
讃 美   新生  2 来れ全能の主
開会の祈り
讃 美   新生363 キリスト 教会の主
主の祈り
讃 美   新生415 わが主よ ここに集い
聖 書   フィリピの信徒への手紙4章10~14節
                     (新共同訳聖書 新約P366)
宣 教   「私を強くする方」    宣教者:富田愛世牧師
【贈り物】
 今、読んでいただいた箇所には「贈り物への感謝」という小見出しが付いています。本来ならば10節から20節までが一括りとなっているのですが、少し長いので二回に分けて読んでいきたいと考えています。
 フィリピの信徒への手紙が書かれた目的の一つに「贈り物への感謝」という事があるわけですが、パウロにとっては、そのことよりももっと大切なことがたくさんあるので、それらをはじめに書き記し、最後に世俗的な感謝をのべているようです。
 「贈り物への感謝」という事ですが、私たちは誰かから、何かを贈られる、プレゼントされることに対して、どのような反応をするでしょうか。初めは誰でも嬉しいのではないかと思うのです。しかし、多くの場合は受け取った瞬間は嬉しいかもしれませんが、次の瞬間、何でもらったのかな?という疑問がわいてくるのではないでしょうか。
 もちろん、そこにはお互いの関係性という事が大きく関係してくるのですが、単純に「何で」という思いが出てくると思うのです。そして、考えてみると誕生日であったり、何かに対するお返しであったり、様々な状況を思い起こすと思います。
 以前、目の前で起こって、びっくりした出来事がありました。ある方が教会の近所に引っ越ししてきて、私のいた教会に転会されました。その方のお連れ合いは有名な航空会社の役員をされていて、いわゆるブルジュア階級の方で、そういう付き合いの中にいたのだと思います。その方が早く教会の中になじみたいと思ったのだと思いますが、教会にいた年配の方と話している時、その年配の方がワイン好きだという事を聞き、次に会う時、その年配の方にワインをプレゼントしたのです。しかし、その年配の方は「あなたからいただく筋合いではない」といって断られたのです。
 私はその場に居合わせて、びっくりしました。そして、私には出来ないと思いました。しかし、関係性が出来ていない間柄で贈り物がやり取りされる時、そこには複雑に絡み合った駆け引きがあるのだろうと思います。人と人との関係、教会と教会との関係、パウロのように伝道者と教会との関係、それぞれの間で贈り物がなされる時、その関係性によって、善意のものだけでなく、賄賂のようになってしまうこともあるので注意しなければならないのでしょう。
【フィリピ教会からの贈り物】
 パウロとフィリピ教会との関係を見ていくなら1章にも書かれていたように「共に恵みにあずかる者」であり「心を合わせて福音の信仰のために共に戦う者」なのです。お互いに相手を必要としていて、キリストによって結ばれた関係にありました。
 ですから、パウロは他の教会からの贈り物は受け取っていませんでしたが、フィリピ教会からの贈り物だけは受け取っていたようなのです。コリントの信徒への手紙二11章8節から9節にはこう書いてあります。「わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。」
 コリントでの宣教活動について、パウロはフィリピ教会からの援助によって生活し、活動することが出来たのです。ここでは「他の諸教会からかすめ取る」などという厳しい表現を用いて語りますが、それはコリントでの働きが、他の人々の犠牲の上に成り立っているという現実を知らせるためだったので、非常に厳しい表現になっています。
 パウロの活動は、このように「マケドニア州から来た兄弟たち」つまりフィリピ教会からの贈り物によって必要が満たされていたのです。
 ところが、10節を見ると、ある時期、フィリピ教会からの贈り物が滞っていたようなのです。なぜ滞ってしまったのか、その理由は書かれていませんから分かりません。しかし、パウロはそれを叱責するのではなく「思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう」と配慮しながら語っているのです。
 何かの理由で贈り物を贈ることが出来ない時期があった。しかし、今、それが再開されたというのです。そして、そのことを喜んでいるのです。喜んではいますが、11節を見ると「もの欲しさにこう言っているのではありません」というように、パウロから欲しているわけではないという事なのです。
 なぜ、このような言い訳をしているかといえば、この当時、巡回伝道者と呼ばれる人が、いたようなのです。そして、そのような伝道者たちは、立ち寄った町にある教会に対して、何らかの対価を求めていたようなのです。
 それだけではなく、テモテへの手紙やユダの手紙の中で警告されているように、間違った教えを伝える人、偽教師と呼ばれる人もその中にはいたということなのです。
【満足する】
 11節の後半を見ると「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。」と語ります。
 贈り物を贈ってもらえるという事は、とても嬉しいことです。しかし、それは自分から欲しているのではない。なぜなら、パウロ自身、どんな状況にあったとしても「満足」することが出来るというのです。贈り物がなくても満足だし、あっても満足なのです。
 そして、この満足できるという事は、自然に身についたわけではなく「習い覚えた」というのです。そのことを学んだのです。どこで学んだのでしょうか。
 パウロの歩んできた道を振り返ると、実に様々な出来事の連続だったのではないでしょうか。先ほど例に出したコリントの信徒への手紙二11章16節以降にパウロの宣教活動における労苦が記録されています。
 特に23節以降を見ると「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。」
 文書として読むと「そうだったのか、大変だったのですね」となりますが、実際に鞭で打たれたことのある方は、この中にはいないと思います。昔の西部劇のような映画では、アメリカの奴隷たちが主人から鞭打たれるシーンがよくありました。私はそのような映画のシーンを見て残酷だと思いましたが、実際にはそれ以上に残酷が刑罰だったようです。
 現代では国際的に問題となっていますが、一部のイスラム国家やシンガポールには鞭打ち刑があるようですが、最大で24回までしか打ってはいけないとなっていて、一回受けただけで失神してしまう人もいるようです。
 他の苦難についても、想像を絶するようなものばかりで、どうやって、それらに耐えることが出来たのだろうかと思ってしまいます。
【私を強くする方】
 11節の後半をもう一度見ると「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです」とあります。とんでもないような苦難に会う中で本当に「満足」することが出来たのでしょうか。強がっているのではないかとも思わされます。
 しかし、コリントの信徒への手紙二12章9節を見ると「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」とあるのです。
 パウロは自分が福音宣教のために受けてきた、様々な苦難に対して「なぜ、このような苦難に会わなければならないのでしょうか」と祈ったはずです。これらの苦難を取り除いてくださいと祈ったと思います。また、自分の肉体的な弱さに対しても「このとげを取り除いてください」と祈りました。
 しかし、その答えは「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」というものだったのです。つまり、肉体的に、そして精神的に受けてきた様々な苦難の中で、恵みとは何か、満足するとはどういうことなのかという事を学んだのではないでしょうか。
 そして、それらは「わたしを強めてくださる方のお蔭」だというのです。パウロを強くしてくださる方、キリストによって「すべてが可能です」と語っているのです。
 14節を見ると「それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。」と書かれています。このような言葉の中にも、パウロとフィリピ教会との関係性を見ていくことが出来ると思うのです。そして、この関係性とは、キリストがその中心におられるから、成り立っているものなのです。

祈 り
讃 美   新生498 イエスに勝る友
主の晩餐  
献 金
頌 栄   新生672 ものみなたたえよ(B)
祝 祷  
後 奏