前 奏
招 詞   詩編23編5節
讃 美   新生 14 心込めて主をたたえ
開会の祈り
讃 美   新生326 ガリラヤの風
主の祈り
讃 美   新生338 よきおとずれを語り伝え
聖 書   コリントの信徒への手紙一11章17~22節
                         (新共同訳聖書 新約P314)
宣 教   「イエスの食卓」    宣教者:富田愛世牧師
【礼拝について】
 11章に入りパウロはコリント教会で行なわれていた、礼拝についての質問に答えています。しかし、ここで語られる「教会」とか「礼拝」という言葉を、現代の「教会」や「礼拝」に当てはめて考えてはいけないと思います。
 当時の教会について、家の教会という表現を使うことがあります。なぜそのように表現するかというと、今の教会のように会堂、礼拝堂を持っていなかったからなのです。また、家の教会というと、こじんまりした少人数の集りをイメージするかもしれません。しかし、実際にコリント教会に集まっていた人は、もっと多くの人数だったようです。
 コリント教会の状況というのは、裕福な人の家、つまり、豪邸のような家で礼拝が行なわれていたようです。家の中の食堂には10人前後しか入れなかったようですが、中庭のような所には4、50人以上の人が集まることが出来たようです。
 新共同訳聖書では17節の前に「主の晩餐についての指示」という小見出しが付けられていて、主の晩餐を行うために心がけておかなければならないことについての指示が書かれています。
 この主の晩餐と呼ばれているものは、現代の教会で行なわれているものとは違い、礼拝を意味していたようです。当時の礼拝の中心は、主の食卓を囲む事でした。もちろんユダヤ教の礼拝は、シナゴーグでヘブライ語聖書が読まれ、ラビたちがそれを解説するというものでしたが、初期のキリスト教会は福音を語るといっても、それはイエスの思い出を話していたようです。
 そして、コリントなどの異邦人中心の教会では、思い出を話すような人はいない訳ですから、イエスの命じたように、一堂に集まり食事をしていたという事なのです。
 教会での食事という事を考える時、信徒が食事を持ち寄る「愛餐」と「主の晩餐」に分けて考える傾向がありますが、実際には礼典としての「主の晩餐」や「聖餐」はもっと後の時代に作られたものなので、ここでパウロが二つを分けて考えているとは思えません。ただ、これは解釈の問題ですから、絶対ではありません。しかし、21節を読むと、そこにあるのは普通の食事の光景としか思えないのです。
【主の晩餐での分裂】
 コリントの手紙では、分裂、分派についての批判が中心的なテーマの一つになっていますが、19節を見るならば、パウロは基本的には共同体の中にグループが出来る事を認めています。そして、それぞれのグループがお互いを尊重し、認めていれば何の問題もないのです。
 問題となるのは、互いが認め合わずに、派閥を作り、派閥同士が非難し合ったり、見栄を張り合ったりして、上下関係が作られる事なのです。バプテスト教会が大切にする多様性とは、お互いの違いを認め合い、その違いを喜ぶ事です。そこには上下関係はなく対等な関係が成り立つのです。
 しかし、コリント教会では、そうならなかったようなのです。違いを認めないで、相手を非難し、上下関係を作ってしまうという事は、福音に反する出来事なのです。
 この箇所では、共同の食事の時に、比較的裕福なグループが先に食べ始め、遅れてきた人の分を残しておかなかったばかりか、酒を飲んで酔っ払ってしまう人までいたという事なのです。このような自分勝手な人がいたという事に対してパウロは「ほめるわけにはいかない」と語っているのです。
 しかし、当時の状況を考えるならば、比較的裕福な人たちが、その家の食堂に座り、よい食事とワインが出されるのは不思議なことではなかったのです。ちょうど飛行機のファーストクラスの乗客が、同じ飛行機のエコノミークラスの人たちよりもずっとよい食事とサービスを受けるのと同じような状況だったのです。
 それが普通、当たり前な状況の中で、教会も同じ事をやっていたとするなら、イエスの語られた福音はどこに行ってしまったのでしょうか。主の食卓には、貧しい者も裕福な者も、共に与る事が大切であり、それがイエスの語られた福音を信じる者たちが献げる礼拝の姿なのではないでしょうか。
 今日は22節で区切って読みましたが、主の晩餐という流れで見ていくと27節には「主の晩餐にあずかるには」という小見出しが付けられていて、そこを見ると「ふさわしくないまま」という言葉が書かれています。
 多くの人は主の晩餐について、この言葉の意味を誤解しています。信仰を告白していない者、バプテスマを受けていない者が「ふさわしくない」のではありません。「ふさわしくない」のは自分の事だけを考えて食事をし、満腹になり、果ては酔っ払ってしまうような人たちの事なのです。
【私たちの礼拝】
 現代の礼拝にも同じ事が当てはめられるのです。自分の信仰さえよければと考え、自己中心的な信仰生活をおくり、他の礼拝に招かれている人々に関心をはらわないとするならば、ここで指摘されるように「ふさわしくない者」となってしまうのではないでしょうか。
 コリントの教会では実際の食事について記され、そこには満腹になり、さらに酒に酔っている人がいる反面、仕事から帰って来て、疲れ果て、飢えている人がいる。そのような人を満腹で酔った人はどのように見ていたのかという事をパウロは問題にしているのです。
 この事柄を現代の教会に当てはめるなら、どのようなことになるのでしょうか。当時の礼拝は食事を共にすることが中心でした。それによって飢えから救われ、命をつなげることが出来たと考えることができます。
 そして、現代の礼拝は御言葉を共に受けていくことです。つまり魂の飢え渇きを御言葉によって満たしていこうとするのが、礼拝の基本的な姿勢の一つだと思うのです。御言葉によって、魂の飢え渇きから救われ、命をつなげることができるとしているのです。
 さらに、主の晩餐について見ていくなら教会が勝手に制定したものではないはずです。少なくともパウロは23節で、私が伝えたことは、主から受けたものですと語っています。つまり、イエスの招かれた食卓がその基本だと語っているのです。そして、イエスの招かれた食卓には誰がいたのでしょうか。
 クリスチャンがいたのでしょうか?その当時は、まだクリスチャンはいませんでした。ユダヤ教徒ならいました。イエスの食卓にはユダヤ教徒もいましたが、居心地は良くなかったようです。何故なら、そこには罪人や異邦人が同席していたからです。
 イエスの食卓に招かれることによって、罪人や異邦人は、肉体的な飢え渇きを満たされ、魂の飢え渇きも満たされたはずです。
 今の教会は主の晩餐において、魂の飢え渇きを満たしているのでしょうか。魂に飢え渇きを覚え、教会に来た方に対して「あなたはクリスチャンではないから」とか「教会員ではないから」と言って、主の食卓から排除してはいけないのではないかと問われているように思うのです。
【イエスの招き】
 今、このように語ったからと言って、すぐに市川大野教会の主の晩餐の形を変えましょうと言うのではありません。ただ、真剣に考えるきっかけになればと思っています。私たちの教会が、イエスの語られた福音を語る群れになるためには、どうすればよいのかを一人ひとりが自分のこととして考えていくことが大切だと思っています。
 パウロが主の晩餐について、23節以降で具体的に語る前に17節から22節で語ったことは、主の晩餐についての指示でした。
 そこには、実際の食事の状況が書かれていましたが、私たちの礼拝にそれを当てはめるなら、自分の信仰さえよければと考え、イエスから招かれているにも関わらず、それに気づいていない多くの人々、教会の外にいる人々に関心を払わないとするならば「ほめるわけにはいきません」と言われる側になってしまうのです。
 22節でパウロは「神の教会を見くびり」と書いています。私たちも神の教会を見くびってはいけないのです。聖書に書いてある、しかし、現実の生活においては無理などと思うことが多いと思います。
 その通りかもしれません。しかし、そのように見くびってはいけないのです。神は私たちに期待し、私たち一人ひとりを選ばれたのではないでしょうか。ただ、私たちは「神に選ばれた」といって高慢になってはいけません。有能だから、役に立つからといって選ばれたのではありません。神の選びは、神の自由なのです。
 イエスが祝宴を開き、そこに招いた人々は誰だったでしょうか。ファリサイ派の人々や祭司たちが、それを証言しています。その人たちは「遊女や徴税人、異邦人たち」だったのです。いわゆる罪人と呼ばれる人たちをイエスは招いていたのです。
 イエスの十字架とは、まさに、そうして集められた人々のためだったのです。ローマ3章23節でパウロは、すべての人は罪を犯していると語ります。遊女や徴税人、異邦人だけでなく、ファリサイ派の人や祭司も罪人なのです。だから彼らをもイエスは招いていたのです。しかし、彼らはイエスの招待を断り、遊女や徴税人、異邦人はイエスの招待を受け入れたのです。そこに救いがあるのです。

祈 り
讃 美   新生655 いざ皆来りて
主の晩餐  
献 金   
頌 栄   新生671 ものみなたたえよ
祝 祷  
後 奏