キリストの体となるために 牧師 中田義直
先週の日曜日、私たちの教会では報告・決算総会を行いました。良かったこと、反省すべきことなど一年の歩みを振り返るとき、そこに神様の大きな恵みが示されていたことを改めて感じることができました。
ところで、私たちは協議を重ねながら一昨年の総会で執事制度を変更しました。また、それに伴い委員会制度を整えていくこととしました。市川大野教会は伝道開始から30年、教会組織から20年を超えて、教会の在り方や奉仕の仕方など見直す時期を迎えてきたからです。
私たちは執事制度を変えましたが、その目的は「変えること」ではありません。私たちは、神様から教会に託されている働きをより良く担うことができるようにとの願いをもって、制度の変更を行いました。そして、ここで確認したいのは、教会がその働きを担うために大切なことは、「キリストの体として整えられていくこと」だということです。
教会に集う私たち一人一人はキリストの体の部分です。この部分と部分に血が通い、神経が通うことによって、私たちは一つの体として整えられます。「喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣く」ことができるのは、血が通い、神経が通っている体だからです。
私たちは互いのために祈ることによって、神経の通う体とされていくように思います。そして、共に祈り、共に讃美し、共にみ言葉を受けることにより、教会は聖霊という血の通うキリストの体とされていくのです。