聖書の伝えている「事実」 牧師 中田義直
十年以上乗っていた我が家の車が動かなくなってしまい、廃車にすることにしました。寿命だと思うのですが、とても残念で、しんみりした気分になってしまいました。車は「物」ですが、長く使っていると愛着がわいてきたり、いろいろと思い出がつまった「物」になっていたようです。
そんなしんみりした気持ちで、聖書を読んでいましたら、人間が神様の命令に背いて、知恵の木の実を食べてしまったいわゆる「堕罪」の記事に目が留まりました。そして、ふとその時の神様の気持ちを考えてしまいました。食べてはならないと命じておいた「知恵の木の実」を人間が食べてしまったと知った時、神様はどんな思いを抱かれたのでしょうか。
私は、今まで「神様は怒った」と思っていました。しかし、その時、神様は怒り以上に悲しく、辛かったのではないでしょうか。そして、創造の秩序を守るために人間を園から追放するとき、神様は怒り以上に嘆いておられたのではないか、と感じたのです。
天地を創造し、人間が生きるためのすべてを整え、ご自身で鼻から命の息を吹き入れ、生きるものとした人間を神様はどれほど大切に思い、愛しておられたことでしょう。神様は楽園を出ていく人間のために革の服を与えてくださいました。そして、神様は人間の罪をゆるすためにご自身の独り子さえも与え、救いを完成させてくださいました。「神様は人を愛しておられる」。聖書はこの事実を私たちに伝えているのです。