「恵み」を思い起こすために 牧師 中田義直
私たちは、主の晩餐式を通してイエス・キリストの十字架の死と復活を通して与えられた「恵み」を思い起こします。
パウロはコリント教会に宛てた手紙に「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」と記しました(Ⅰコリント1:18)。当時の人々にとって、十字架刑で無残に殺された人を「あの方こそキリスト、救い主だ」という人々の言葉はとても愚かなものと思えたことでしょう。そればかりでなく、その人たちは十字架で殺された人が「復活した」と言っているのです。とてもまともなことを言っているとは思えなかったことでしょう。十字架の言葉を愚かに思う、その背景には「人は死んでしまったらおしまいだ」。そして、「人は死に打ち勝つことはできない」という考えがあるといえるでしょう。
しかし、イエス・キリストはご自身の死と復活を通して、死は終わりではないということを示してくださいました。また、神の力は死に打ち勝つことを示されました。私たちの命は絶望のうちに終わるのではなく、神のもとにあってその輝きが失われることがないのです。ここに、永遠の命の「恵み」があります。
私たちクリスチャンは、御子イエスの死と復活を通して与えられたこの神の「恵み」を、主の晩餐を通して思い起こすのです。