祈りの時としての「総会」 牧師 中田義直
今日の午後、教会では2018年度に向けて計画・予算総会を行います。私たちバプテスト教会は総会を大切にしてきました。初期バプテストの文章を読むと、教会総会を礼拝と同様に大切にしていることがわかります。
なぜバプテストは総会を大切にしてきたのでしょうか。それは、総会を単なる人間同士の会議ではなく、神の御心を求める「祈りの時」と理解してきたからといえるでしょう。
それまで、キリスト教会では、神の御心は司祭や牧師といったいわゆる「聖職者」を通して示されるものと考えられてきました。聖書も信徒が読むものではなく、聖職者たちが読むものとされてきました。信徒は聖職者たちの解釈や教会の教えを「神の言葉」として受け止めてきたのです。しかし、このような教会のありかたに対して今から500年前、改革者たちは万人祭司を主張し、聖書を信徒自らが読むことを主張したのです。
プロテスタント教会はこのような主張をもって誕生しました。そして、バプテストはこの主張を徹底しようとしました。それは、一部の聖職者だけでなく、信徒一人一人が神様の御心を受け止めることができるという主張でした。そして、人間は不完全であることを受け止め、皆で話し合うことを通して、より正しく神様の御心を受け止めようとしたのです。ですから、バプテストにとって総会は御心を求める祈りの時でもあるのです。