聖書 エフェソ 2:11~13     宣教題 キリストの民    宣教者 中田義直

 8月を迎えました。今年は本当に暑い夏となっています。そして、これは地球規模で起こっています。日本より北に位置している韓国やヨーロッパでも厳しい暑さとなっています。アメリカでは気温が50度を超え、森林が自然発火するというような火災も起こっています。

 1992年に国連はアースイヤーと言って地球環境を考える活動をしました。環境破壊、絶滅していく動物たち、そのようなことが取り上げられ「地球の危機」が叫ばれました。そのようなことに対して「地球の危機、ということ自体が人間の傲慢だ」と話していた友人がいました。

彼曰く「地球の危機ではなく、人類の危機だ」そして「地球上から人類がいなくなれば、地球環境は時間をかけて回復する。人類は、自分で自分の首を絞めてきたことに対してもっと謙虚になるべきだ」と話していました。また、子どものころから私はテレビや映画などSFものが好きだったのですが、そこには定番といえるストーリー展開があります。それは、宇宙人など地球の外から攻撃を受けて、人類存亡の危機となったときに敵対している国同士が協力して立ち向かって宇宙人に勝利するというストーリーです。ここ数年、いろいろな国で自国第一主義の政治家が民主から指示を受けています。そして、隣接する国々を非難して自国の優位性を誇るという傾向が広まっています。日本でも、雑誌、単行本を問わず近隣諸国の批判記事、そして、日本は素晴らしいという内容の出版物が良く売れているそうです。日本を自己批判するようなものは本当に売れないそうです。自国第一主義が進む中で、地球規模の異常気象が進んでいる。私はSF映画のことを思いながら、私たちは大きな問いかけを受けているのではないだろうかと考え、そして、本当に壁を取り除くことの困難な現実を感じてしまうのです。

 パウロはユダヤ人であり、ユダヤ教ファリサイ派の一員として他の民族の人々を穢れたもの、罪深い異邦人と見ていました。つまり、パウロは異邦人を差別していたのです。パウロはエフェソの教会の人々に「2:11 だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました」と語っていますが、異邦人と呼び、割礼のないものと呼んで彼らを差別していたのはほかならぬパウロ自身でした。そして、「2:12 また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました」と記しています。真の神を知らない人々、そのあなたたちが今やキリストによって神を知るものとなったとパウロは語りかけています。そして、キリストによって遠く離れていた私たちは今や近いものとなったのだとパウロは言います。

 パウロがここに記しているように、私たち人間には真の神を知っている者と、真の神を知らない者がいます。しかし、真の神は、神を知っている者も神を知らない者も知っておられるのです。それは、イエス様が山上の説教で5:43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。5:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。5:45 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。5:46 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。5:47 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。5:48 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」とおっしゃっていることにも示されています。天の父は完全であるとイエス様はおっしゃっています。それは、敵さえも愛する愛をもって愛しておられるということではないでしょうか。

 私たち人間は隔ての壁を立てます。国によって、民族によって、信仰によって、自分の受け入れられる人と受け入れることのできない人との間にと、様々な壁を立てるのです。しかし、

神様は私たちの建てた壁の内側にいる者にも、外側にいる者にも太陽を登らせ、雨を降らしてくださいます。そして、愛を注いでくださっているのです。それが十字架の愛ではないでしょうか。神様を愛する者だけでなく、神様に背を向けている者を愛していることがそこに示されています。隔ての壁を立てるのは人間です。しかし、神様は壁の外にいる者も内側にいる者等しくキリストの民として愛し、招いておられるのです。

 

ー祈り-

 主なる神様、こうして共に主の日の礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。

 神様、あなたは私たちを分け隔てなく愛しておられます。しかし、私たちはなんと多くの隔ての壁を自分の周りに立てていることでしょう。そして、私たちは壁を取り除くことに恐れを覚えます。自分と違う価値観、自分と違う性格、自分と違う意見を持つものを壁の外に追いやります。私たちは自分を変えることが怖いのです。だから自分を変えようとせず、相手を変えようとしてしまいます。

 主よ、あなたは敵をさえ愛しておられます。イエス様をののしり、イエス様を十字架につけろと叫ぶ者たちを愛し、救うためにイエス様に愛する一人子である十字架の苦しみを背負わせてくださいました。

 主よ、聖霊によって私たちの心を砕いてください。そして、私たちが建てた隔ての壁を取り除いてくださいますように。 

  この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

 

ー聖書-  エフェソの信徒への手紙2章11節~13節

だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。