主の「証し人」として                牧師 中田義直

9月も終ろうとしています。温暖化の影響でしょうか、今年の梅雨は雨が少なく水不足が心配されていたのが、一転、8月に入ると日照不足による農作物への影響が心配され、各地で豪雨による被害、太平洋で迷走した後、ゆっくりと日本列島を縦断した台風など、これまでの経験とは異なる気象状況に戸惑うことの多い夏でした。
国家や民族間の緊張と紛争、経済格差が引き起こす対立や価値観の対立などが起こり、自国や自民族第一主義を主張する指導者が台頭する中で地球規模の気象変動が起きています。この夏を振り返るとき、「自分たちの国のことに一生懸命になっているけれども、地球のことはどうするつもりなのかな。自民族のことも大切だけれども、人類のことも考えたらどうかな」という自然からの問いかけを感じるのです。
イスラエルの民の過ちは、自分たちが全人類に対する「証し人」として神様に選ばれたことを忘れてしまったことではないでしょうか。イエス様は「サマリヤ人の譬え」を通して、民族を超えて隣人となることの大切さを示されました。民族の違い、この世の地位、貧富の差、健康か病を負っているか、性別といったことによっておこる差別があります。そして、その中で傷つけられている人の痛みにイエス様は目を向けておられます。
すべての人々、すべての物は神様の大切な作品です。この事実を証しするために、私たちは主によって召されているのです。