聖書 エフェソ 5:1    宣教題 神の子として   説教者 中田義直 

 

 パウロはエフェソの教会の人々に「あなたがたは神に愛されている子どもですから、神に倣う者となりなさい」と語りかけています。親と子、それは、最も深く強い関係性といえるでしょう。深くて強い関係ということは、しかし、単純に良い関係とは言えないことも事実でしょう。深くて強い関係は、そのまま愛し愛される関係ということではありません。互いに対する影響力も強く、激しいものがあります。深くて強いからこそ、強い反発を生みます。激しい対立となることもあります。私たちはその事実を知っています。

 ダビデ王は息子アブサロムと激しい対立をします。それは、まさに戦争、命がけの戦いとなった対立でした。ダビデはアブサロムの死を望みませんでしたが、ダビデの家臣はアブサロムを殺します。それは、王ダビデを守ることでした。そしてアブサロムの死を知ったダビデは息子の名前を呼んで深く悲しみます。ところが、ダビデの嘆く姿を見て家臣はダビデを批判します。王の敵を討ったのに、そんなに嘆かれては兵士たちの士気が下がってしまうというのです。しかし、それでもダビデの嘆きの場面は私たちの心を打つのではないでしょうか。聖書に記されているダビデとアブサロムの出来事、そして、ダビデの嘆きは、親子の深くて強い関係をあらわしているといえるでしょう。

 パウロは神様との強い関係を願っていました。それは、そして神の前にふさわしい人間であろうと努力を重ねていました。神様に愛される人となりたい、その願いがパウロを動かしていました。パウロはイエス様と対立していたファリサイ派のメンバーでした。またイエス様の亡くなった後、イエスが復活したと言って活動を始めた弟子たちとその教会を敵視して、先頭に立って教会を迫害していました。そして、それもまた神様の愛を受けるためでした。なぜなら、イエスとその弟子たちは神に反するものたちだと、彼は信じて教会を迫害していたのです。しかし、パウロの人生は復活のイエスとの出会いという経験を通して変えられてしまいました。嘘、偽りと思っていた復活が真実と知ったのです。

 パウロはキリストの弟子であったアナニアの導きによって、イエス様のメッセージ、そして、イエス様の十字架の死と復活の意味するところを知らされます。それは、神様の私たちに対する愛と赦しの出来事でした。罪人を愛する愛、愛されるにふさわしくない者を愛し、尊い価値のあるものとして私たちを慈しんでくださる方、それが、神様の御心であり、神様の本質は愛であることをパウロは知るのです。パウロはエフェソの教会の人々にあてた手紙の中に「5:1 あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい」と記しました。「あなた方は神に愛されている」それが何よりも大切な前提です。そして、今このことがパウロの人生の前提となっているのです。「神様に愛されている」ということ、その神様の愛に対する信頼がパウロの人生の土台となったのです。

 私たちは関係の中で生きています。人の間と書く「人間」という漢字はそのことをよく現しています。親子という関係、兄弟という関係、友人関係、仕事上の関係、血のつながりや地域のつながり、同じ職場、学校、同じ趣味等が関係を結びます。そして、その関係には土台があります。他者との関係、その関係の最も確かな土台は愛であり、信頼です。親子という最も深くて強い関係であっても、愛という土台、そして信頼という土台を失うとその深くて強い関係さえ崩れていきます。ダビデとアブサロムの深くて強い関係は、しかし、ダビデの愛を信じることのできなかったアブサロムによって悲劇的な結末を迎えてしまいました。

 パウロは「あなたがたは神に愛されている子どもですから、神に倣う者となりなさい」と記しました。神様は、御子イエス・キリストの死と復活を通して、神と人との関係の土台には愛があることをお示しくださいました。そして、御子イエス様は人として世に来られ、私たちを友と呼んでくださいました。そして、私たちと共に歩み、神様が私たちに注いでくださっている愛を教えてくださったのです。

 子どもたちが、出来れば困難の少ない人生を歩んでほしいと願います。しかし、子どもたちも、そして私たちの人生も、困難のない人生はありません。大切な他者との関係が揺らぐこともあるでしょう。だからこそ、神様の愛という人生の土台を伝えたいのです。子どもたちも、そして、私たち一人一人も揺らぐことの無い「愛」という土台の支えられている神様との交わりを大切に歩んでまいりましょう。

 

ー祈り-

 主なる神様、この主の日、あなたに呼び集められ、礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。

 主よ、今朝、私たちは子どもたちの成長を感謝し、これからの日々の上にあなたの祝福がありますよう、共に祈りを合わせました。

 主よ、あなた私たちを愛し、神の子どもとしてくださいました。神と人との関係の土台にあるのはあなたの愛です。私たちが十字架のイエス様によって示されたあなたの愛を信じ受け入れることができますように、神様との関係、そして、隣人との関係の土台に決して揺らぐことの無いあなたの愛を、土台として据えることができますよう聖霊の導きをお与えください。

  この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

 

ー聖書- エフェソの信徒への手紙 5章1節

5:1 あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。