聖書 ルカ 1:67~80    宣教題 この憐れみによって   説教者 中田義直

 

 祭司ザカリアは天使ガブリエルから子どもが与えられるというお告げを受けました。その時ザカリアと妻エリサベトは年老いていて、すでに子どもを宿す力を失っていました。ですからザカリアはガブリエルの言葉を受け入れることができませんでした。そして、神からの言葉を受け入れることのできなかったザカリアは言葉を発することができなくなってしまいました。

 聖書にはこのように記されています。「1:19 天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。

1:20 あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」

 口がきけなくなる期間は子どもが生まれる時まででした。この期間、それは、ザカリアに与えられた沈黙の時でした。詩篇の131篇にこう記されています。「131:1 【都に上る歌。ダビデの詩。】主よ、わたしの心は驕っていません。わたしの目は高くを見ていません。大き過ぎることを/わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。131:2 わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように/母の胸にいる幼子のようにします。131:3 イスラエルよ、主を待ち望め。今も、そしてとこしえに」

 ここで詩篇の詩人は「わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように/母の胸にいる幼子のようにします」といっています。魂を沈黙させること、それは魂を幼子のようにすることだと詩人は祈るのです。そして、イエス様は「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ10:15 )と教えてくださいました。それは、神に委ねるということです。神様のなさることを信じて、自分の考えや主張を語り、自分の思いの実現を求めることではなく、神様の導きを信じて委ねることでしょう。この言葉の発することのできない時、ザカリアは沈黙の中で祈り、考え、何よりも自分自身と向き合いながら神様と語り続けたのではないでしょうか。ザカリアは神殿に仕える祭司でした。祭司職の大切な働きは神様へのとりなしをすることです。律法に従って捧げものを携えてきた罪の赦しを願う人、感謝の思いを伝えたい人の願いや思いを神様に伝えること、それが、重要な働きでした。しかし、沈黙の時を与えられたザカリアは、伝えるつとめから離れて神様の言葉を「聴く」時が与えられたのです。

 そして、エリサベトは男の子を生みました。この子の命名の日、ザカリアはこの世の慣習に従うのではなく、神様に言葉に従いこの子に「ヨハネ」という名を付けたのです。口のきけないザカリアはそのことを文字に書いて示しました。ヨハネ、それは「主は恵み深い」ということを意味する名前です。このようにしてザカリアが与えられた子にヨハネと名付けた時、ザカリアの口は言葉を発することができるようになりました。

 口の利けるようになったザカリヤが最初に発したのは、神を称え、神様から託された預言の言葉を語りました。

 「1:68 ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、1:69 我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。」 ここに示されている「角」というのは、「力」を意味しています。「預言者が語ったた言葉の通りに、私たちを救う力のある方がダビデの家からお生まれになる」とザカリアは語ったのです。

 「1:71 それは、我らの敵、/すべて我らを憎む者の手からの救い。1:72 主は我らの先祖を憐れみ、/その聖なる契約を覚えていてくださる。1:73 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、1:74 敵の手から救われ、/恐れなく主に仕える、1:75 生涯、主の御前に清く正しく。1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、1:77 主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。」ザカリアは続けて、このように我が子ヨハネに与えられている使命を語ります。当時、長男は父親の仕事を継ぐことが常識でした。特に、祭司の仕事は世襲によって受け継がれます。祭司の働きが世襲によるというのは、その働きが共同体の中からなくなってしまわないようにするためでもありました。祭司の仕事は、イスラエルの人々にとってなくてはならない働きと考えられていました。しかし、ヨハネは祭司の働きを継ぐのではなく、人々に救いを与える大祭司、キリストの道を備える働きを担うのです。

 この大祭司キリストが与えてくださる救い、それは、罪からの解放であり、死と滅びからの解放です。ザカリアはこう予言しています。「1:77 主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く」。

 私たちは必ず死を経験します。それは、悲しくつらい別れを伴います。しかし、イエス様は死は終わりではないことを教えてくださいました。そして、この希望は「我らの神の憐れみよる」恵みの出来事なのです。憐れみ深い神様は、私たちの悲しみやつらさ、切なさをそのままで終わらせることの無いお方です。

 「暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く」。神の憐れみによって、私たちは決して消えることの無い希望の光の中を歩むことができるのです。

 

 

 

ー祈り-

 主なる神様、アドベントの主の日、共に礼拝を捧げる幸いに感謝いたします。

 主よ、私たちはあなたの憐れみによって、救いをいただきました。罪から解放し、死の支配を終わらせてくださいました。あなたの御子、イエス・キリストは世を照らす光として世に来られました。「暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く」方、それがあなたが予言者たちを通して約束してくださった、救い主キリスト、イエス様です。私たちは祈りつつ、御子の誕生の祝いの日を待ち望んでいます。

 主よ、このアドベントの時、あなたの深い憐れみへの感謝をもって主の降誕を待ち望み、あなたの憐れみの証し人として歩む私たちでありますように。

  この祈りと願い、主イエス様の御名を通して、あなたの御前にお捧げいたします。アーメン

ー聖書-  ルカによる福音書1章67節~80節 

ザカリアの預言

1:67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。

1:68 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、

1:69 我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。

1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。

1:71 それは、我らの敵、/すべて我らを憎む者の手からの救い。

1:72 主は我らの先祖を憐れみ、/その聖なる契約を覚えていてくださる。

1:73 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、

1:74 敵の手から救われ、/恐れなく主に仕える、

1:75 生涯、主の御前に清く正しく。

1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、

1:77 主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。

1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、

1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く。」

1:80 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。