十字架の愛を通して読む「聖書」 牧師 中田義直
聖書、特に旧約聖書には多くの戦争の記録が記されています。そして、サウル王やダビデ王の記事には“多くの敵を殺す王が神の祝福を受けた王である”という価値観が表れているようにも思えます。
このような価値観を不思議に思い、旧約聖書の研究者に「十戒に、殺してはいけない、とあるのにどうして聖書のこのような価値観に基づく記述があるのでしょうか」と尋ねたことがあります。そうしましたら、「十戒は、イスラエルの民族に与えられたもので、仲間である同じ民族を殺してはいけないが、敵は殺してもいいと理解されているのですよ」という答えが返ってきたのです。この答えに私は驚きを覚えました。そして、イエス様の「敵を愛しなさい」という教えが、当時のイスラエルの人々にとってどれほど受け入れがたい教えであったかと思いました。
私たち人間の愛の多くは、内向きではないでしょうか。そして、人間の愛の多くは、愛の対象とそうでないものの間に壁を作ります。しかし、イエス様の十字架に示された神の愛は「壁」を壊す愛なのです。ですから、十字架の愛を知った私たちは、この愛に基づいて旧約聖書を読み、解釈します。例えば、壁を壊す愛を通してみる時、十戒は民族という壁を越え、全ての人に向けられた教えとなるでしょう。「殺してもよい人はいない」それが、十字架の愛を通して見えてくる神の戒めではないでしょうか。