前 奏
招 詞   エズラ記10章4節
讃 美   新生 14 心込めて 主をたたえ
開会の祈り
讃 美   新生484 救い主 王は
主の祈り
讃 美   新生526 主よ わが主よ
聖 書   フィリピの信徒への手紙2章25~30節
                  (新共同訳聖書 新約P364)
宣 教   「協力者エパフロディト」    宣教者:富田愛世牧師
【エパフロディト】
 今日の箇所はエパフロディトという人物が中心となって話が進められていますが、このエパフロディトという人物は、聖書の中では、ここにしか登場しないので、どんな人物なのかよく分かりません。しかし、25節を読むと分かるように、パウロにとっては「わたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれました」とあるのです。
 パウロは初めに「兄弟」と語りますが、皆さんもお分かりのように、いわゆる血のつながった兄弟ではありません。キリストを信じる信仰によって神の子とされたわけですから、神を中心とした家族、兄弟であるという事です。
 そして、「協力者」とあります。パウロの働きに対しては、反対者の方が多かったように思います。この手紙を書いている時、ローマにいたとするならば、パウロはエルサレムにいた時、アジア州から来たユダヤ人たちによって「民と律法とこの場所を無視するように教えている」と訴えられ、ユダヤの最高法院で取り調べを受けるわけです。
 このアジア州から来たユダヤ人たちも、エルサレムにいたユダヤ人たちも、パウロに対して反対者、敵対者でした。しかし、エパフロディトは協力者だったのです。たぶんパウロがフィリピの町で伝道している時に救われた異邦人の一人だったと思われます。そして、フィリピ教会の中心的な働き人としてパウロの伝道を手伝い、その生活においても援助していたのではないかと思います。
 だからこそ、次に語るように「戦友」という言葉を用いたのではないでしょうか。現代の日本において、戦友という言葉はあまり好ましい言葉ではないような気がしますが、その意味としては、戦争という非常事態に同じ釜の飯を食い、戦場で共に戦った仲間です。そういう意味で、辛い経験を共にした仲間に対して今でも使われるようです。パウロは、辛い経験を共にした仲間として紹介しているのです。
 さらに、フィリピ教会からの使者として、囚われの身となっているパウロの元へと贈り物を届け、届けただけでなく、その後もパウロの側にいて、不自由がないようにと様々なお世話を進んでしてくれる奉仕者であると語るのです。
【エパフロディトの立場】
 そのようなエパフロディトをフィリピに送り返すにあたって、なぜこのような紹介をしなければならなかったのでしょうか。元々、エパフロディトはフィリピにいたのですから、わざわざ紹介しなくても、フィリピ教会の人々は知っていたはずです。
 しかし、ここに一つの問題があったようです。それは、26節に書かれているように病気になったことに関連しているのです。
 エパフロディトはフィリピ教会を代表して、囚われの身となっているパウロの元へと遣わされました。フィリピ教会でエパフロディトがどのような立場にいたのかは分かりませんが、少なくとも贈り物を託すことが出来るくらい信頼されていたと思われます。
 ですからエパフロディトは責任重大だと自分でも思っていたに違いありません。旅の行程もスムーズだったとは考えられません。様々な困難があったでしょうし、贈り物を携えていたわけですから、盗賊に合わないように気を張り詰めて旅をしていたのではないでしょうか。
 ローマに着いたエパフロディトは、パウロに会うことが出来、贈り物も無事に届けることが出来ました。ホッとしたエパフロディトに今までの疲れ、心労が一気に出て病気になってしまったのかもしれません。それも、パウロの記録によれば、死ぬほどの病気だったというのです。
 病気になって、弱気になったエパフロディトはフィリピに帰りたくなったのです。しかし、26節にあるように、自分が病気になってしまったことがフィリピ教会の人々にも知られてしまったことを「心苦しく思っている」というのです。
 ただ、帰りたいだけではなく、フィリピ教会の人々にも心配をかけたくないという気持ちもあったようなのです。この辺の気持ちの揺れ動きは、非常に複雑なものだったのだろうと想像します。慣れない土地に、重大な使命を持って来たのに、パウロの手伝いをしに来たのに、これではかえって足手まといになってしまったのではないか、役に立ったなかったのではないか。いろいろな思いがあったと思います。
 同じようにパウロも、何をどこまで伝えるべきか、迷いながら、そして、言葉を選びながら、手紙を書いていたのではないかと想像します。
【フィリピ教会】
 一方、フィリピ教会も代表としてエパフロディトを送り出しましたが、ローマで病気になってしまったことを知らされ、教会の中では様々な反応を示した人がいたのではないかと思うのです。
 エパフロディトの体を心配する人も、もちろんたくさんいたと思います。しかし、そうではない人、エパフロディトが病気になったことを快く思わない人もいたと思うのです。教会だからといって、皆が親切だとは限りません。意地悪な人もいるのです。エパフロディトが死ぬほどの病気になってしまったという事を肯定的に感じる人もいれば、否定的に感じる人もいて当然なのです。
 パウロの良き協力者となるように送り出したにも関わらず、かえってパウロのお荷物になってしまった、足手まといになってしまったと感じる人もいて当然なのです。
 そこまで否定的に感じなかったとしても「しょうがない奴だ」程度に感じていた人もいたのではないかと想像するのです。そして、病気が治った後になって「まさか、そんな重篤な病状だったとは知らなかった」と言い出す人もいたのではないでしょうか。
 だから、パウロは27節で「実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。」と丁寧に説明しているのです。
 エパフロディトの病気のことで、パウロ自身も心配していたことと同時に、その病の癒しが神の憐れみの業であり、それはエパフロディトが癒されるだけでなく、もし、癒されずに死んでしまうようなことがあって、パウロが悲しむことがないようにという神の配慮、神の憐れみでもあると語るのです。
 そして、28節にあるように「そういうわけで、大急ぎで彼を送り返します」と語るのです。さらに、彼を送り返すことが出来れば「わたしも悲しみが和らぐでしょう。だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい」と、大きな配慮に満ちた言葉で送り返そうとしているのです。
【喜びとは】
 ところで、前回2章18節までの箇所でパウロは礼拝について、また、自分の覚悟として殉教する可能性があることを語ったのに、なぜ19節から24節でテモテについて、そして、25節から30節ではエパフロディトという個人的なことを語っているのか。その理由は後回しにして、と言いました。
 宿題として残っていた、その理由についてですが、これが明確な答えですというものは、もちろんありませんが、いくつかある仮説の中で「なるほど」と思わされたものがあります。
 どういうことかと言うと、19節から30節までの箇所は、2章18節までに語られた「喜びなさい」という言葉と、次に書かれている3章からの「喜びなさい」という言葉に挟まれているのです。
 つまり、個人的な事柄に見えますが、テモテとエパフロディトの存在は「喜び」に関係しているという事なのです。この二人のように、神の前に献身的に仕えているという事が「喜び」に繋がっているのです。
 テモテはパウロと共に伝道旅行に行き、パウロと同じように様々な困難に出会っています。しかし、それらの困難は、テモテにとって肉体的、精神的には苦痛を伴ってはいたはずですが、「喜び」に変えられたのです。
 エパフロディトも囚われの身になっているパウロの所へ、フィリピ教会からの贈り物を携えて行きました。その旅の道中は何事もなく、スムーズにローマまでたどり着いたとは限りません。記録として残ってはいませんが、様々な苦労の連続だった可能性は高いと思います。
 その心労によって、ローマについてから死ぬほどの病にかかってしまったのかもしれません。また、フィリピ教会の中にはエパフロディトの事を、役立たずだと非難する人がいたかもしれません。
 しかし、そのような身の危険、人々からの非難、中傷も「喜び」に変えられるというのです。そのような「喜び」をパウロは語ろうとしているのではないでしょうか。

祈 り
讃 美   新生 96 主よわれらに愛を
献 金
頌 栄   新生674 父 み子 聖霊の
祝 祷  
後 奏